――今のお話とも関連しますが、この本では感情的な経験、とりわけ「泣く」や「悲しむ」という経験が軽視されていることに警鐘を鳴らしています。
五木 :先日、ある大学の免疫学の先生と対談したんですが、その先生は、笑うことが免疫力を高めることが実証されたとしきりに主張されていた。そこで「泣くことや悲しむことはマイナスなんですか」と尋ねたところ、その先生は、どちらかというとよくないと言われた。僕はその意見には反対です。泣くことや悲しむことだって、人間の孤独感や鬱々とした心を整える効果があるはずだと思っています。
本にも書いたことですが、柳田国男という日本の民俗学のゴッドファーザーみたいな人が「涕泣史談(ていきゅうしだん)」というおもしろい文章を書いています。「涕泣」はすすり泣くという意味ですね。昭和16年の6月ごろに発表されたその文章で、柳田さんは、最近の日本人はあまり泣かなくなったように自分の目には見えるといわれている。
日本人は古来、非常によく泣く民族であった。その泣くというのも、個人的な悲しみで泣くだけじゃなくて、泣くべきときがあって、そこできちんと泣けない人間は、世間から一人前の人間として評価されなかった。だから、泣くことは、大人にとっての大事な儀礼であり、必要なことだった。でも、最近の日本人は急に泣くことをやめてしまったらしいと。
柳田国男は用心深い人ですから、戦前のあの時代にあまり刺激的な発言はしていませんが、太平洋戦争勃発直前の時期ですから、僕は、泣くことがよくない時代になっていたんだと思います。前向きにがんばること、強いことがよしとされ、泣くことはよくないこととされたのです。その当時の人は本当は泣きたくても泣けなかった。思いきり泣けるような世相ではなかったのではないでしょうか。
会社で泣いたらダメな社員
――戦後はどうなるんでしょうか。
五木 :戦後は戦後で、日本は新しい経済大国へ向けて、経済戦争の真っただ中に飛びこんでいきました。会社で泣いたら、ダメな社員という烙印を押されますよね。前向きに明るく働くことが美徳で、それはいまに至るまで変わっていません。「泣くなんてことは、敗者のマナーだ」というのが、今の社会の通念になっているように感じます。
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