前編(「報徳会宇都宮病院に今も君臨する95歳社主の正体」7月14日配信)でも触れたとおり、1984年に報徳会宇都宮病院の看護職員が患者2人を暴行死させ、石川文之進院長(当時)が無資格者や入院患者らに点滴・静脈注射やエックス線・脳波・心電図検査などを行わせていたという、日本の精神医療史で最大級の不祥事が発覚した。この事件を契機に、旧精神衛生法が改正され、より入院患者の人権に配慮した精神保健法が、1988年に施行された。
報徳会宇都宮病院の元入院患者が、強制入院させられ苦痛を受けたとして損害賠償を求めた民事訴訟では、東京高等裁判所は石川文之進元院長や同院に加え、宇都宮市や国の責任を認め、計1300万円の賠償を命じた。
そうした事態に、当時の事情に詳しい「精神医療」誌第51巻(宇都宮病院問題緊急特集号、1984年)によれば、発覚当初は県内精神科病院が加盟する「栃木県精神衛生協会」が病院施設を県が買収し、運営を民間が行う県立民営化を要望したり、栃木県知事が「今のままではいつまた人身事故が起きないとも限らず、病院の管理者を変えていくことが先決」と述べたりするなど、解体的出直しを求める声が高まった。
「解体的出直し」頓挫のわけ
だが1カ月も経つと、「ある程度は院長一族が残ることはやむをえない」(県首脳部)と、とたんにトーンダウンしている。結果的に一族どころか実刑判決を受けた院長その人が、40年後も実権を握っているのが現実だ。
解体的出直しが頓挫した理由は、当時、最も石川文之進医師に近い立場にあった東大助教授の刑事裁判での情状証言に集約されている(大熊一夫『新ルポ・精神病棟』より引用)。
「アルコール中毒や薬物中毒の患者は人権上、医療上、扱いが難しい。そういう困り者の患者を多くの病院が排除している中で、(報徳会)宇都宮病院は多数受け入れて治療していました」
だが裁判所は、被告側が主張する情状をほぼ全面的に退け、一審、控訴審とも実刑判決を出している。東京高裁は同氏には「人的に不備な治療態勢のもとで、いたずらに多数の患者を受け入れて収入の増大をはかった。実質的違法性も強いし、精神医療や一般医療に対する信頼を揺るがせた責任もある」と判断して、刑の執行猶予は付けなかった。
40年前であっても裁判所が否定した、精神疾患をただただ危険視して、その医療政策を社会防衛的視点に立つ考え方は、さすがに時代錯誤というほかない。現在の世界標準の精神医療は、重い精神疾患があっても各種の支援によって、地域で日常生活を送るというのが大原則だ。
先進諸国で唯一、入院中心の精神医療政策を継続してきた日本も、大きく舵を切る時期はとうに来ていたはずだ。それでも変われなかったのは、この報徳会宇都宮病院をはじめ、多くの精神科病院が従来大半を占めた統合失調症に代わり、国内の患者数600万人と推計される、ある「疾患」の患者を業界挙げて取り込んできたためだ。それが「認知症」だ。
(最終第13回・後編に続く、8月公開予定)
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