世界的歌手「ブリトニー」が引退危機にある理由 育児放棄に丸刈り、精神病棟…彼女の驚愕人生
ブリトニーは1981年ミシシッピ州生まれのルイジアナ州育ち。教会のコーラスで抜群の歌唱力を発揮した。両親は、子供向けコンテンスト番組にも出演した娘の将来をニューヨークのタレントエージェントに相談し、彼女をニューヨークで歌やダンスのレッスンを受けさせることにした。母リンは付き添ってニューヨークに残ったが、父ジェイミーはルイジアナに戻る。彼はその後もブリトニーのキャリアにはほとんど関わらなかった。
17歳にしてセレブの仲間入り
ブリトニー最初のブレイクは、ディズニーチャンネルの子供向け番組『The All-New Mickey Mouse Club』。共演者には、ジャスティン・ティンバーレイク、クリスティーナ・アギレラ、ライアン・ゴズリング、ケリー・ラッセルがいた。
番組が終了すると、ブリトニーは実家に戻り、普通の高校に通学。オーディションに参加するにも難しい土地柄の中、母は後に彼女のマネージャーとなる、エンターテインメント業界専門弁護士のラドルフに今後について相談した。
ラドルフはブリトニーのデモテープをレコード会社に売り込み、見事契約を取り付けることに成功。デビューアルバム「ベイビー・ワン・モア・タイム」が全米チャート初登場1位を獲得したのは、彼女が17歳の時だ。
文字通り一夜にしてセレブリティになるも、制服姿で学校の廊下を歩きつつ、性的なことを示唆するミュージックビデオは、アメリカの多くの母親たちの反感を買った。
一方で、ティーンエイジャーのアイドルであることを自認するブリトニーは、セクシーさを売りにしつつも、自身はバージンだと言い続ける。しかし元恋人のジャスティン・ティンバーレイクから性的関係を暴露され、それが雑誌の表紙の見出しになった結果、彼女はさらに反感を買うことになってしまった。
当時のブリトニーは、まだ意地悪なメディアやパパラッチに対して、表向き明るい対応をしていた。ところが事態が変化したのは、彼女のバックダンサーだったケビン・フェダーラインと結婚し、子供が生まれてからである。
パパラッチは、彼女が膝に子供を乗せたまま運転をする写真や、正しくない子供の抱き方をする写真を撮影しては、タブロイド紙に高値で売り込んだ。
メディアも当然そのネタを取り上げ、産後うつもある中、ブリトニーの苦しみは深まった。結局、2人目を生んで2週間後に、彼女のほうから離婚を申請。事態はさらに悪化していくことになる。
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