共働き育児「メイドがいれば万事解決」の大誤解 "家事外注大国"シンガポールで残る親の役割

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図書館にいる時間は、少しゆっくりできるのかな、と私が思ったとたん、それを見透かしたかのように彼女は「自分の本じゃないわよ。子ども用の本を借りに行っているの」と付け加えた。

習い事と習い事の合間で下の子は昼寝をしないと持たない日もある。帰宅してから夕飯を作る暇はないので、祖父母の家で食べさせてもらってから帰ることが多い。アラフォーのCathelineさんすら疲れ果てるのに「高齢の祖父母に送迎からやってもらうのは大変すぎる」。メイドは雇っていた時期もあるが、車を運転できないので、よほど近場の習い事でない限り、送迎の助けにはならない。

さらに、塾や家庭教師を利用するにしても、どこの施設がいいかを調べ、比べ、通い始めてからも、送迎だけではなく、塾のクラスのレベルがあっているかどうか、家庭教師は適切に教えてくれているかどうか等を確認するという「マネジメント業」をしているのは主に母親だ。

教育社会学では、親こそが子どもの教育の責任者であるとの観念のもとに主に母親が「パーフェクトチャイルド」を育てようとする「教育する家族」の大衆化が進んでいるという指摘がある(広田照幸著, 1999年『日本人のしつけは衰退したか』など)。

教育競争下で“新しい学力”も含めた教育が目指されている中では、場合によってはケアよりも複雑に、子どもの理解度や習熟度、性格を踏まえてモチベーションの管理などを長い目で見守ることが必要になる。

夫婦の役割分担で母に偏重する理由については次回以降に回すが、こうした気配りをベースとした、マネジメントも含む“ケア責任”は、外注することができない……。それどころか、豊富な外部資源の中から最適な選択肢を選び取り、活用しつくすために、親たちの業務は複雑化している面もあると言えるだろう。

親の役割はなくならない

日本政府は待機児童の解消や家事労働者などのオプションを広げようとしているが、ケアを外部化したところで、教育熱心な親たちの悩みは解消されない可能性が高い。

ケアよりも一層私事化された教育において、子どものモチベーションや習熟度に寄り添いながら、個々の家庭が市場化された選択肢を組み合わせて運用することで競争を勝ち抜こうとすれば、その役割は、育児資源が豊富であっても、むしろ豊富であればあるほど、複雑な管理業務が家庭に残る。

そして、このことは、その業務に投入できる労力についての家庭間格差だけではなく、家庭内の男女役割格差につながる可能性がある――。次回は、今回の記事と矛盾するようだが、それでもできる限り「教育」を外注しようとする結果、かさんでいく教育費についてレポートする。

中野 円佳 東京大学男女共同参画室特任助教

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なかの まどか / Madoka Nakano

東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社入社。企業財務・経営、厚生労働政策等を取材。立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、2015年よりフリージャーナリスト、東京大学大学院教育学研究科博士課程(比較教育社会学)を経て、2022年より東京大学男女共同参画室特任研究員、2023年より特任助教。過去に厚生労働省「働き方の未来2035懇談会」、経済産業省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員を務めた。著書に『「育休世代」のジレンマ』『なぜ共働きも専業もしんどいのか』『教育大国シンガポール』等。

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