とりわけ、単純に「作業」としての家事が夫婦間で分担されるようになってもなお、その「作業」がきちんとケアとして機能しているかどうかについての気配りも含めた「お膳立て」やマネジメント、ケアする相手のニーズを予想したり、選択肢を検討したり、意思決定をして進行を監視したりすることは「感覚的活動(Sentiment Activity)」や「認知労働(Cognitive Labor)」(※)と呼ばれ、その可視化されにくい行動に目を向ける必要性が訴えられてきた。
※Sentiment ActivityはMason, Jennifer, 1996, Gender, Care and Sensibility in Family and Kin Relationships. In Sex, Sensibility and the Gendered Body (pp. 15 – 36), edited by Janet Holland and Lisa Adkins. London, England: Macmillan.、Cognitive LaborはAllison Daminger. 2019. “The Cognitive Dimension of Household Labor.” American Sociological Review, 84, 4, Pp. 609-633.による概念。
子どもにどの程度「教育」を与えるかは、乳幼児や要介護者に対する「ケア」とは異なり、なくても生きていけるもの、あくまでもオプションであるように見える。公教育が整備されていることを前提にすれば、家庭教育や学校外投資は本来、なくても生存が脅かされるほどの「避けがたさ」がない営みである。
しかし、ここまでの連載記事で見てきたように、シンガポールのように、教育競争で生き残ることが必須と捉えられているコミュニティーにおいて、少なくともそのような認識を持つ親にとっては必要不可欠なものに見えているのかもしれない。
日本の家庭にとっても他人事ではない。『学力を支える家族と子育て戦略』(志水宏吉監修・伊佐夏実編著、2019年)には、宿題だけではなく日々の生活における声かけなどについて、気が遠くなるくらい「丁寧」な子どもへの寄り添いが描かれている。
子どものモチベーションを維持しながら、学校の勉強についていってもらい、できるだけよい成績を目指す。学校の成績や試験の点数だけではなく、子どもの興味関心を見出し、問題解決能力やコミュニケーション力も育みたい……。“新しい能力”を求める家庭が子どもに対して「やってあげたらいいかもしれない」ことには際限がない。
家事が食洗器や自動掃除機などの家電などでラクになる反面、教育絡みでは家庭のやることはますます増え、その業務はますます高度な配慮を必要とする活動になっている――。
外部資源を使っても負担は減らない
前回記事で書いたように、シンガポールの子どもたちは、習い事に塾にと忙しい。では、このような外部資源は、親の負担を軽減しているのだろうか。結論から述べれば、教育の外部化は別の業務を親にもたらしている。
まずは、送迎だ。連載第4回に登場した専業主婦のCathelineさん(仮名)は「毎日分刻みで予定が入っていて、私は完全に送迎運転手。子どもたちが学校から帰ってきたら、お昼ご飯を食べさせて、習い事にでかける。子どもが習い事に行っている間は食材の買い物をしたり、図書館に行ったりしている」と言う。
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