メイドを雇っていたとしても、家事のみで、子育てをまったく任せないという家庭もある。理由は「メイドはあくまでも一時的な存在で、家族の中からいつかいなくなってしまうから」「メイドにしつけはできない」「自分が子どもの頃、メイドは大人の目がないと手を抜いていたのを知っているから自分の子どものことを任せることはしない」など。
では教育面はどうか。フィリピン人の大卒のメイドは英語が堪能であることが多く、宿題のチェックくらいできるのではないかと尋ねてみると、「メイドは学がないから。大卒のメイドを雇うことはできるけど……でもどっちにしろ中国語はできないでしょ」(30代中華系シンガポール人女性)と、教育レベルの差を挙げる答えも出てくる。
子どもに寄り添う
私も質問してはみるものの、「そこは親が」という感覚はわかる。子どもの宿題のチェックをするというのは、やっているかどうかや、単に〇か×かを見ればいいとは限らない。目の前の子どもが、何にどう時間をかけていて、どこにつまずいているかを確認する意味合いもあるからだ。とりわけ、教育が重要な社会においては。
たとえば、自分自身は教師の父を持ち、悪い点を取るとひどく叱られながら育ったという専業主婦のSandraさん(仮名)は、「子どものテストの点数が70点だったら、75、100と点数を目指すのではなくて、どこを改善できるかな? どこの領域をもう少しやったほうがいいかな?と一緒に考えるようにしている」と子どもに寄り添うことを目指す。
もちろん、親がどこまで時間をかける必要があるかは、子どものタイプにもよる。「学校でだいたい宿題は終わらせてくる」というケースもあれば、帰宅後に学校の宿題を終わらせるだけでも苦戦するケースもある。
第3回の記事で「娘がビリから5番までに入らなければいい」と言っていたMayさん(仮名)は、娘が幼稚園児のときまでは自宅でフラッシュカードなどを使って中国語の学習などを見ていたが、小学生になってからは「まず座らせるのが大変。それでやっと座ってやりはじめたと思って、30分くらい家事をしてから娘のところに戻ってみてみるでしょ。……何も進んでないの!」と嘆く。
この悲鳴には首肯する親も多いのではないか。もともと、「ケア労働」やその役割を誰が担っているのかを研究する領域では、誰かに依存しなくては生きられないような存在に対して、その責任が私事化され家族に割り当てられてきたことが指摘されてきた。
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