最後の大桶職人が抱く「木桶文化」存続の焦燥 "本物のしょうゆ"は消えてしまうのか

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桶造りに必要な道具は特殊なものが多い

そうしていただいてきた道具だが、どんなに大事に使っても、研いだり磨いたりしていれば、どんどん摩耗して小さくなっていく。「これらの道具が使えなくなったら、もう新しい道具は手に入らない。そうなっても、さすがに刃物は自分で手作りできんわな」(上芝氏)。

繁閑の差が激しすぎることも悩みの種だ。昔のようにコンスタントに発注が来ない。だが、発注があれば、完成を目指して昼夜を問わず働かなければ間に合わないことも多い。一方、仕事がないからといって、従業員を遊ばせておくほどの余裕はもちろんない。「独立採算で桶を作り続けるには限界がある。つくづく疲れてきたよ」。上芝氏は漏らす。

その一方で、このまま大桶を造る技術が廃れてしまっていいのか、技術継承問題にも頭を悩ます。「最後のとか、1人だけとか、そういう表現はしてほしくない」と上芝氏は静かに、だがきっぱりと言う。

現役は退いたかも知れないが、桶職人としての誇りを今だ胸に抱く先達が存命だからだ。直接、会ったことはなくとも、桶造りの先輩を敬う気持ちは強い。それに自分の元に、桶造りの修行に来る若者もぽつりぽつりと出てきた。今も静岡県の桶屋の子息が、1年間の期限付きで研修を受けている最中だ。

地方からの新たな息吹

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上芝氏の元で修行する若者も出てきた

さらに、地方の小さな蔵元を中心に、新たな息吹も聞こえてきている。木桶への回帰が徐々に始まっているのだ。

たとえば、長野県小布施町にある枡一市村酒造場でも、2000年から木桶仕込みを復活させた。桶は1本10石(約2000リットル)で、多い年には10本程度も仕込むという。今では、この枡一酒造場の呼びかけにより、確認できただけでも20弱の蔵元が木桶仕込みの日本酒を醸している。

また、香川県小豆島にあるヤマロク醤油では、本物の味を子孫に継承すべく、2011年秋に「木桶職人復活プロジェクト」を立ち上げた。現在、保有する木桶は60本超。だが、それらも使い始めて150年以上経過したものが多く、このままではいずれ使えなくなってしまう。そこで5代目自らが、木桶を造ってしまおうというものだ。地元の大工さんとともに上芝氏の元に通い、タガの削り方から組み立て方、修理の方法まで、大桶造りの基礎から学んだという。

こうした木桶の文化を残そうという機運が、各地で動き出していることは喜ばしいことだ。だが、木桶復活に残された時間はそう多くはない。

(撮影:ヒラオカスタジオ)

筑紫 祐二 東洋経済 記者

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ちくし ゆうじ / Yuji Chikushi

住宅建設、セメント、ノンバンクなどを担当。「そのハラル大丈夫?」(週刊東洋経済eビジネス新書No.92)を執筆。

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