ガザ地区に潜む「猫の9つの命を持つ」謎の男とは イスラエル暗殺者リストの上位に載るムハンマド・ダイフとは
1980年代の第1次インティファーダ時代、ヤーセル・アラファートが指揮するパレスチナ解放機構(PLO) の影響力を排除する民衆の流れが生まれた。そしてついには、ムスリム同胞団のパレスチナ支部を母体にした民衆レベルの対イスラエル抵抗組織が1987年誕生。その名を「イスラム抵抗運動」といい、「イスラム抵抗運動」のアラビア語名の頭文字を取ったハマスの名で知られている。
ハマス誕生から2年後、イスラエルはこの新組織の創設者アフマド・ヤーシーン師をはじめとする活動家たちを逮捕。この逮捕者たちの中にムハンマド・ダイフも含まれていた。
ムハンマド・ダイフは裁判も罪状も確定しないまま、16カ月間投獄される。この獄中生活の間に、囚人仲間のサラーフ・シャハーダとザカリーヤ・ショルバジと、ハマスとは別にイスラエル国防軍兵士誘拐目的の新しい運動を発足させることに合意した。
獄中でイスラエル兵誘拐・殺害運動を起こす
1990年に釈放されると、現在「カッサーム旅団」の名で知られるハマスの軍事部門を設立。1994年3人のイスラエル兵を誘拐・殺害すると、ガザでは彗星のごとく現れたレジスタンスのヒーローとしてダイフの名が知れ渡った。
ハマスの武器製造・改良に努めるダイフは、イスラエルの最重要指名手配犯となった。だが、最重要指名手配犯のリストにはダイフよりも上位の指名手配犯がいた。
最上位にいたのはヤヒヤ・アイヤーシだった。アイヤーシはエンジニアで、ハマスのロケット製造開発を担っていた。1996年にアイヤーシュがイスラエルに暗殺されると、ダイフの存在感が増した。ダイフはアイヤーシの遺志を継ぎ、盟友の仇を取ることを心に誓う。
そしてバス爆破などのイスラエル国内テロを指揮した。投石などの抗議行動だった第1次インティファーダでは、2000人以上ともいわれるパレスチナ人が殺された。バス爆破などを悪質なテロと呼ぶか、パレスチナ人が祖国を取り戻すためのレジスタンス運動、第1インティファーダの報復攻撃と呼ぶかは、どちら側につくか、それぞれの立ち場によって異なってくる。
イスラエル政府は当時パレスチナ国大統領だったアラファト議長にダイフ拘束を求めたが、アラファト議長に要求を無視された。アラファトは当時の予防保安庁ガザ地区長官でオスロ条約に反対するハマスやジハード・イスラム運動を取り締まっていたファタハの指導者ムハンマド・ダハラーンにダイフについて尋ね、ダハラーンにダイフは大学のときからの友人だという答えをもらったので、パレスチナ政府はダイフ問題には目をつぶり続けることにした。
結果、イスラエル国内で連続テロが起き、50人近くが死亡。さすがのパレスチナ政府もこれ以上見て見ぬふりができなくなり、逮捕し有罪にしたが、収監とは名ばかりで、刑期が終わる2001年まで出入りは自由。好きなときにプリズンから出かけて、戻っていた。
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