ワクチン陰謀説を信じる人を強く煽る恐怖の正体 生物兵器、DNA改変、死ぬなどの情報が出回る訳

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つまり、極めてセンシティブで気が滅入るような健康不安の深層には、孤立無援に感じられる寄る辺なさと社会的承認を失うことへの恐れがあるというのである。現代の過酷な生存競争のジャングルにおいて、病者のカテゴリーに振り分けられていないこと、健康でいることが唯一頼りにできる身分証明書となっているからだ。

不健康になることは個人の怠慢?

これは昨今健康であることの重要性が巨大化するヘルスケア産業だけでなく、国家ぐるみで盛んに取り扱われていることと無関係ではない。自己責任論の流行に象徴される新自由主義的な規範の内実とは、健康に関していえば、「健康でいることは個人の義務だが、不健康になることは個人の怠慢だ」という暗黙のメッセージにある。コロナに罹患して後遺症のために働けなくなった人々は、多かれ少なかれこのような理不尽に直面せざるをえなかった。

これは賃金の低下や非正規労働の拡大などといった不安定な境遇への転落が本人のせいとされるのと同様、万が一ワクチンによる健康被害が発生した場合も泣き寝入りしなければならないのではないか、という疑念を抱かせるには十分といえる。

例えば、mRNAワクチンがヒトDNAを改変するという不可逆的変化の恐怖を煽る偽情報を支えているリアリティとは、外部からもたらされる未知のリスクによって回復不能なダメージを被ることへの警戒心と恐れなのである。ここにおいてドゥームスクローリングは、健康被害の実態を追求する方向で作用するかもしれない。陰謀論を信じていなくともワクチン忌避を補強する心性が育まれてしまっている面もあるのだ。

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昨年10月にイギリス誌『Nature Medicine』に掲載された国際調査で、国民のワクチン接種の許容度が政府への信頼度と相関するという結果が明らかになったが、このことが日本でも悪い形で表れることが懸念されるといえるかもしれない。

情報発信の仕方を含めたワクチンに関する適切なリスクコミュニケーションはもちろん不可欠ではあるが、中長期的にはここ10年、20年でさらに加速したリスクの個人化、何らかのトラブルや不手際によって突然社会的な地位が奪われ、いとも簡単に見捨てられてしまうことへの不安にこそ目を向けなければならないのではないか。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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