総力戦できず楽観的な日本がコロナ大迷走の必然 船橋洋一×戸部良一「私たちは教訓を学んでない」

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船橋:話がだいぶお門違いの方向へ行ったかもしれませんが、私は有事に備えるには、平時と有事をはっきりと区別し、明確なモード転換をすることが重要だと思います。その際、有事においては「法の支配」を平時以上に意識し、明確にする、国と国民との間の権利と義務関係を明確にしておかなければなりません。平時と有事の境界が曖昧だと、いざとなったら超法規的にやるということの繰り返しになってしまいます。

戸部:ご指摘のとおりだと思います。当時は、「有事」という言葉ではなく、「非常時」という言葉を使っていましたけど、非常時と言っても、国民生活や意識が大きく変わったわけではありませんでした。

国家総動員法など、非常時を想定した法律が次々と作られたことは事実ですし、強大な国家権力が行使されたことも間違いありませんが、それも、明確にある時点から変わったというよりも、いつの間にか、わからないうちに変わってしまっていました。非常に曖昧な形で変わっていったため、実際のところ、多くの国民が非常時意識を持っていたかどうか、私にはよくわかりません。

むしろ、非常時によって利益を得る一部の人たちが、非常時という言葉や状況をうまく利用していたのではないかと思います。政府であれば軍がそうですし、民間ではメディアや軍需産業が、非常時を利用して利益を得ていたのかもしれません。

日本ほど総力戦を戦えない国はほかに見当たらない

非常時には「総力戦」ということがよく言われます。日本でも、大正時代から軍は次の戦争は「総力戦だ」と喧伝していましたが、列強の中で日本ほど総力戦を戦えない国はほかには見当たりません。ソ連は平時から総力戦体制のような国でしたが、イギリスやアメリカ、ドイツ、フランスと比較しても、日本の総力戦のあり方は、いい加減で水準の低いものでした。だから、軍も政府も国民も、口では総力戦をお題目のように唱えていましたが、実は、総力戦は戦えなかったのだと思います。

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船橋:非常時という言葉は踊ったけれども、本当の意味での有事の体制を国家として構築することすらできなかったということですか。

戸部:その通りだと思います。

船橋:新型コロナウイルス感染症対策について、民間臨調で調査した際、当時の菅義偉官房長官にインタビューしましたが、そのとき、菅さんは「総力戦の覚悟で、安倍政権は対応した」と強調しておられましたが、その後の状況を見ていると、「総力戦」で戦ったとはお世辞にも言えない。ワクチンの開発・生産、ワクチンの調達外交、ワクチンの接種体制を見れば、どれも局地戦に次ぐ局地戦のように見えます。

(第3回に続く)

船橋 洋一 アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長

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ふなばし よういち / Yoichi Funabashi

1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒業。1968年朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年~2010年12月朝日新聞社主筆。現在は、現代日本が抱えるさまざまな問題をグローバルな文脈の中で分析し提言を続けるシンクタンクである財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長。現代史の現場を鳥瞰する視点で描く数々のノンフィクションをものしているジャーナリストでもある。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(2013年 文藝春秋)『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(2006年 朝日新聞社) など。

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