総力戦できず楽観的な日本がコロナ大迷走の必然 船橋洋一×戸部良一「私たちは教訓を学んでない」

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戸部:できないことは考えない、ということだったんです。その後、満州事変の後の1936年、石原莞爾が作戦課長の時にもう一度、国防方針を改定しています。そのときも、数カ国相手の戦争は想定していません。ただ、そのとき石原の周辺で考えられた構想は、耳を疑うほど楽観的です。

まず英米と協調しソ連と戦って勝利する。それを達成したら、ソ連を抱き込んでイギリスと戦う。ソ連、イギリスに勝利すると中国も日本の味方になるから、その後、最終的にアメリカと決戦する、という構想です。アメリカの研究者は、軍人はワーストケース・アナリシスをするはずなのに、これではベストケース・アナリシスだと批判しています。

船橋:ソ連に負けた場合やイギリスに負けた場合、つまりプランBは考えないと。

戸部:それはさきほどのフクシマのように、メルトダウンを想定することは、メルトダウンの回避に失敗することを想定することになるから、それは言ってはいけないのと同じで、プランBはプランAに失敗する、つまり負けるケースを想定することですから、それは「必勝の信念」に反するから考えてはいけないということですね。

船橋:「必勝の信念」に反するんですね。

プランBまで考えようという人たちの意見はかき消された

戸部:今でいえば、安全の信念に反するということですね。もちろん戦前にも、プランBまで考えようという人たちもたくさんいたんですが、そのような人たちの意見は、声の大きな人たちにかき消されてしまいました。

船橋:国防方針を決定したときには、勇ましい言葉はさておいて、まさか最後はアメリカとの戦争になるとは考えていなかったんでしょうね。しかし、実際には日中戦争を引きずっている最中に、アメリカと開戦しました。数カ国との戦争ですね。

戸部:論理的矛盾というか、計画と現実の違いですね。

船橋:1941年にはパールハーバーに至りますが、猪瀬直樹さんが1986年に刊行した『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)によれば、総力戦研究所はアメリカと戦争したら負けると分析していました。ところが、報告すると、分析を命じた東條英機首相が「戦争はやってみなきゃわからない」と言ったそうですが、それじゃ、何のための分析だったのかという話ですよね。この辺りは、どう理解すればいいのでしょう。

戸部:正直に申し上げると、私にもわかりません。当時実権を握っていたのは軍人ですが、軍人の中にアメリカに勝てると思っていた人は1人もいなかったと思います。ただ、欧州では同盟国のドイツが破竹の進撃を続けていたため、ドイツと手を組んでイギリスを倒せば、アメリカは戦意を喪失するだろうと考えていたのだと思います。

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