人を死に追い込む「ことば」と感染症の怖い共通点 ノーベル賞作家・カミュの「ペスト」を読み解く

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カミュは、その紡ぐ「ことば」が、論説やエッセイであろうと、彼自身の偉大な文学作品と同じ労力を注ぐことをいとわなかった。「ことば」こそ、自分が拠って立つ場所であることを知っていたからだ。

「りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、決して気をゆるめないようにしていなければなら」なかったのだ。

カミュは、あらん限りの力と繊細さをこめ、新聞「コンバ」を中心にして、論説を書いた。社会や公共へと受け渡す「ことば」にも、文学と同じ労力をさいて。けれども、社会は、カミュの「ことば」を拒んだ。

左派にも右派にも属さず、あるかもしれない「真実」を目指して刊行されていた新聞「コンバ」は、党派色の濃い、旗幟鮮明な左右の新聞に読者を奪われていった。

1947年6月3日、カミュは「コンバ」に最後の社説を掲載し、編集長を辞職することを公表した。『ペスト』の刊行は、その10日後のことだ。

カミュの代表作「異邦人」は自分自身

カミュは、国籍を問われたとき、こう答えた。

「ええ、ぼくには祖国があります。それはフランス語です」

カミュの名を世界に知らしめたのは、デビュー作『異邦人』だった。主人公ムルソーは、どこにいても、自分が「異邦人」であると感じる。どんな国家にも、どんな民族にも、所属できない。どんなイデオロギーや倫理や慣習にも服従することができない。どんな正義も、それが「正義」であるだけで、彼は、従うことができないと感じるのである。

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そんなムルソー=カミュが、唯一、生きることが可能だったのは、その作品の中、フランス語という「ことば」が作り出した束の間の空間だった。その空間だけが、彼を「等身大」の人間として生きさせることができた。

フランス語という「ことば」が作り出した、束の間の、「文学」という空間。「文学」はあらゆるものでありうるが、自らが「正義」であるとは決して主張しないのである。「ことば」は人を殺すことができる。だが、そんな「ことば」と戦うことができるのは、やはり「ことば」だけなのだ。

高橋 源一郎 作家

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たかはし げんいちろう / Genichiro Takahashi

1951年広島県生まれ。作家、明治学院大学名誉教授。横浜国立大学経済学部中退。81年『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作となる。88年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』谷崎潤一郎賞を受賞。著書に『ぼくらの民主主義なんだぜ』『ゆっくりおやすみ、樹の下で』『たのしい知識 ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』『ぼくらの戦争なんだぜ』ほか多数。

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