人を死に追い込む「ことば」と感染症の怖い共通点 ノーベル賞作家・カミュの「ペスト」を読み解く

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「時がたつにつれて、僕は単純にそう気がついたのだが、ほかの連中よりりっぱな人々でさえ、今日では人を殺したり、あるいは殺させておいたりしないではいられないし、それというのが、そいつは彼らの生きている論理のなかに含まれていることだからで、われわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身振り一つもなしえないのだ。
まったく、僕は恥ずかしく思い続けていたし、僕ははっきりそれを知った──われわれはみんなペストの中にいるのだ、と。
……中略……
僕は確実な知識によって知っているんだが(そうなんだ、リウー、僕は人生についてすべてを知り尽している、それは君の目にも明らかだろう)、誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ。なぜかといえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ。
そうして、引っきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。
自然なものというのは、病菌なのだ。そのほかのもの──健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決してゆるめてはならないのだ。
りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、決して気をゆるめないようにしていなければならんのだ」
(アルベール・カミュ、宮崎嶺雄訳『ペスト』 新潮社)

人間はみんな、「ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまう」。このとき、吹きかけられる「息」とは、「ことば」に他ならない。「ことば」こそが、人間たちを感染させ、殺してゆく元凶だったのだ。

「ことば」が持つ宿命

もちろん、これを書いたとき、カミュは、インターネットの存在も、SNSも知らなかった。けれども、いまこの文章を読むと、ぼくたちは、タルーの(カミュの)「ことば」が、ある種の「炎上」といわれる現象、一つの事件、あるいは「ことば」をきっかけにして、集中的に、憎しみや否定の「ことば」が投げつけられる現象についての詳細な報告のようにも感じることができる。いうまでもなく、それは、「ことば」というものが持たざるをえない宿命でもある。

「ことば」は武器になる。相手を攻撃し、打ち倒すために、特に力を発揮する武器にである。カミュは、この認識を、彼自身の経験から導きだした。

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