人を死に追い込む「ことば」と感染症の怖い共通点 ノーベル賞作家・カミュの「ペスト」を読み解く
第二次世界大戦が始まってドイツはフランスに侵攻し、占領した。ドイツは、「ドイツの正義」(と信じられるもの)の下にユダヤ人や、抵抗するレジスタンスのフランス人を虐殺した。ドイツが敗れると、抵抗していた人たちだけではなく、かつては黙ってドイツに従っていた人びとも、いつしか立場を変え、「フランスの敵」として、フランス人の「対独協力者」たちを粛清した。「フランスの正義」の名の下にである。
ドイツに抵抗するレジスタンスは、資本主義を信奉する(「資本主義」あるいは「自由主義」という正義を信奉する)右派と資本主義を打倒することを目標としていた(「共産主義」や「社会主義」という正義を信奉する)左派との連合組織だった。
同じ敵を抱いていた両派は、ドイツが敗れると、すぐに、お互いを倒すことに熱中しはじめた。その左派の中でも、自分こそが唯一の正しさを持っていると自負する党や集団が、別の党や集団を激しく攻撃した。
フランス植民地であったアルジェリアで、独立運動家たちが叛乱を起こすと、意見を異にしていたはずの左派と右派が、再び、別々の論理で、「反フランス」的な暴動を厳しく批判した。そのときには、反目し合っていた両派は、「フランス」という国家の正義の名の下に団結した。
カミュは、いつもその渦中にいた。決して傍観者にはならず、なにかの名の下での「正義」、自ら信奉するものへの反対者を「敵」と認定し、抹殺しようとする試みに反対しつづけた。
なによりも、「ことば」を、粛清の、否定の「武器」とすることに反対しつづけた。カミュが深く政治にコミットした、その全期間において、実際に、物理的に、反対者を粛清しようとする試みは、まず「ことば」による殲滅が先行したからである。いや、「ことば」によって相手を否定しようとする者は、やがて、自らの、その否定の「ことば」によって、自身が蝕まれてゆくのである。
「真実に迫る」カミュの論説
ヴィリジル・タナズは、伝記『カミュ』(大西比佐代訳/祥伝社)の中でこう書いている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら