今年の全米オープンは、男女同コース開催。テレビで見て、その難しさに驚いている方も多いはず。そこを横峯さくらは女子オープンで7位タイと大健闘。松山英樹は35位、忍耐強くよく頑張ったと思うけど、その2週前のメモリアル・トーナメント優勝の影響で、もう少し上位を期待した人が大半だっただろうね。
話はさかのぼるけど、日本ツアーのダンロップフェニックスが始まった1974年、その頃は速いベントグリーンや、洋芝のタフなラフに日本人選手は慣れていませんでした。そこへシーズンが終わった米国ツアーからジョニー・ミラーやジャック・ニクラウス、それにリー・トレビノやセべ・バレステロス、世界的な名選手がやってきて優勝や上位を独占。高額賞金の大半を外国へ持って帰った時期がありました。
これには正直腹が立ちましてね。最初は、速いグリーンは外国選手に勝たせるためのものか?そんなことを皆で言ってたんですが、文句を言ってても始まりません。その外国選手がプレーをしている世界へ飛び出して、賞金を日本に持ち帰ろう。そんな気持ちが海外ツアー参戦のきっかけでしたね。
そのダンロップフェニックスの生みの親の一人、大西久光さんに聞くと、世界の名選手を招いた大会開催の意図は、日本のゴルフ界に世界へ目を向けさせようというのが大きなテーマだったらしいのです。自分にとっては、世界へ旅立つ足掛かりを作ってくれた大会ということになります。
外国に出ても最初からうまくいくはずがありません。が、心掛けたことは、その土地になじむ(コースになじむという意味ですが)、それにツアー仲間と仲良くすることでした。
自分は最初から女房が旅に同行してくれていたんで、仲間作りにはそれほどの苦労はありませんでしたね。予選ラウンドは、同じ選手と同じ組で2日間一緒に回るんで、女房がその選手の奥さんといつの間にか仲良くなって、晩飯の約束ができてたりしたんですよ。
ゴルフは、自分以外のすべての選手が敵なんですが、最愛なる仲間でもあるんです。一人の優秀なコーチを作るより、多くの仲間作りが今後につながると思いますね。コースから学び、仲間から学ぶことが多いのがゴルフです。
全英オープン開催コースの一つに、ミュアフィールドというコースがあって、ジャック・ニクラウスが大のお気に入り。生まれ故郷オハイオ州にミュアフィールド・ビレッジ・ゴルフクラブというコースを作って、そこで開催されているのが、メモリアル・トーナメントです。今年勝ったのは松山英樹。コース全体から、英国のリンクスのにおいをかぎ取ったんだろうね。全英オープンには勝てそうと、全米の後、自信にあふれ瞳が輝いていました。
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