日本の近現代史を正した「たった4票」の重み もし吉田茂、鳩山一郎、岸信介と続いていたら
「幕末から現在までの近現代史の中に、湛山が挟まっている首相の変遷を見ることによって、私たちは何を感じるべきでしょうか。それは私たちに投げかけられている基本的な問題です」
保阪氏の問いかけです。現代史の教科書を開くと、石橋内閣を受け継いだ岸信介は、自主外交を実現させようとした湛山の方針をあっさりと翻し、新安保条約に調印します。それによって、学生や労働組合を中心に反対運動が高まりました。民主か、独裁かとの批判の渦の中、国会を連日、デモ隊が包囲し、反対運動は戦後最大と言われるほどの国民運動になっていったのです。
そして、自主外交を実現させようとした湛山や国民の思いとは逆に、親米路線は途絶えることなく、岸信介の孫にあたる前安倍内閣、そして、現在の菅内閣へと受け継がれています。
政治を決めるのは、投票権を持つ私たち
それでも、保阪氏は、石橋湛山の65日には大きな意味があると話します。
「私は、鳩山と岸の間に湛山が挟まることによって、近現代の中にほっとする安堵感があると思います。この安堵感を支えたのは誰でしょうか。総裁選の勝敗を分けた7票のうち、4人が岸と書いたら、石橋内閣はできなかった。私たちは、政治について、その都度その都度見ていますが、大きな流れで言えば、そういう小さなことから変わっていくのです。特定できない4人が歴史を変えた。そういう人たちの歴史的意思というものを、私は尊重したい」
そして、次の言葉で話をまとめました。
「私たちは、石橋湛山という人をもっと深く知る必要がある。そして歴史の中にきちんと位置付けて語り継ぐ必要がある。それが後世の私たちの役目であると、あらためて自覚したいと思います」
戦争という過ちを二度と繰り返さず、独立した国家として、世界を広く見渡し、平和のために力を尽くす。日本だからこそ、敗戦国だからこそ、そんな責任と役割を背負っている。それは、政治家だけではありません。湛山を選んだ4票のように、政治家を選ぶ私たちも背負っている。保阪氏の優しく、温かい口調から、われわれ世代に向けた強いメッセージを受け取ったような気がしています。
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