アカデミー賞映画「ミナリ」は絶賛に足るものか 在米韓国人の成功の裏にある悲劇
2019年の韓国政府の統計によると、在米韓国人の数は約255万だが、不法滞在者などを含めると実際には300万人はいると見られている。そして、いわば移民1世たちの苦労の後、今や大学教授や医者、弁護士、各種議会議員、政府高官まで出るようになっているが、やはり農業というのは耳にしない。
映画『ミナリ』に戻れば、ストーリーは韓国人2世である監督(43)の家族がモデルだという。韓国紙とのインタビューによると、父は大学で畜産を専攻し農場と牧場経営を夢見て1980年代に渡米。当初は、映画でも登場するが養鶏場でヒヨコの雌雄鑑別作業をやり、後に果樹栽培(ナシ園)で成功し、今も現役だという(映画では野菜栽培)。
息子の監督は名門のエール大で生態学を専攻し、当初は医者になるつもりだったが、在学中に映画にはまり映画の世界に入ったという。日本の小津安二郎や黒澤明への関心を語っており、そういえば『ミナリ』には小津作品風のたたずまいが感じられなくもない。
農業で成功した移民は異例中の異例
父の世代のアメリカ移民で農業成功者というのは異例ということになるが、しかし映画は移民に農業をやらせることで成功したように思う。
人家の見当たらない野原を小型トラクターで一人耕し、手助けしてくれるのは朝鮮戦争で韓国にいた経験があるという変人のような熱心なキリスト教徒の老人だけ。教会での村人とのぎこちないながらも温かい交流。不満の妻との対立に耐えながら成功を夢見る夫。当初、居心地悪かった祖母と孫たちの共感と相互理解。最後は火災をきっかけにした家族の団結で危機克服へ…。
こうした農業を舞台にした移民物語は、アメリカ人には開拓時代のイメージもあってまさに移民のあるべき姿であり、限りなく好ましい。つまり映画『ミナリ』はある種のメルヘン(おとぎ話)なのだ。メルヘンとして共感と拍手喝采を得たのである。心温まるメルヘンに”現実“を持ち出して批評するのは野暮かもしれないが、長年の韓国ウォッチャーにとってはやはり一方でアトランタでの事件のような現実が気になる。
ところで映画のタイトル「ミナリ」は植物のセリ(芹)の韓国語で、韓国では野菜として鍋物などの食材によく使われる。自生力があって人手をかけなくても育つということで「逆境に強い韓国人」の象徴として映画に登場させられている。これもメルヘン的である。
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