沖縄で「安室奈美恵とDA PUMP」が生まれた理由 米軍の存在が音楽にもたらした小さくない影響

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一方、DA PUMPの場合はストリートダンス、つまり舞台ではなく街路や広場など街中で発達してきたダンスである。ISSAは、4人組時代の当時「もし芸能界に入っていなかったら、今ごろどうしてる?」という質問に対し、「地元の仲間と仕事しながらダンスしていると思う」と答えている(主婦と生活社編『DA PUMP HEAT!』主婦と生活社、2001年)。そこには、彼にとってダンスが日常の暮らしのなか、生まれ育った地元のストリートとともにあるものであることがよく表れている。

もちろんストリートダンスはDA PUMPの専売特許ではなく、1990年代から2000年代にかけてひとつの大きな潮流になろうとしていた。それはもともとアメリカで生まれたものだったが、当時その波が日本にも及んでいたのである。ストリートダンスの技のひとつとして、背中や肩、頭を軸に回転するブレイクダンスなどが、よくメディアで取り上げられるようになった。

2004年には、ストリートダンスをフィーチャーした番組『少年チャンプル』(日本テレビ系、2004~2005年)も始まった。深夜番組ではあったが、ストリートダンサーの密着企画やランキング発表などがあり、この番組から人気ダンサーも生まれた。ストリートダンスの魅力を一般層に向けて発信するのに貢献した番組であり、DA PUMPもレギュラー出演していた。

90年代ラップのヒット曲も多く誕生

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こうしたストリートダンスは、それ単独ではなく幅広くアートやファッションの分野まで含んだヒップホップ文化のなかで発展したものだった。DA PUMPの定番ファッションもそこからきたもの。「B―BOYスタイル」(「B」はブレイクダンスからきたもの)と呼ばれ、大きめのサイズの服をざっくりとラフに着こなすスタイルだった。

またラップなども、そうした文化から生まれてきたものである。そして1990年代、DA PUMP以外にもラップが日本の流行歌の世界に取り入れられ、ヒット曲も誕生するようになっていた。

そうした一連の現象のなかで、新しい不良性の魅力が世の中に浸透していく。そしてその不良性のあり方は結局、SMAPなどとはまた異なるスタイルではあったが、自らの生きざまを見せる平成アイドルの流儀とも重なっていたのだ。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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