沖縄で「安室奈美恵とDA PUMP」が生まれた理由 米軍の存在が音楽にもたらした小さくない影響

✎ 1〜 ✎ 7 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
(写真:ARL / PIXTA)  
アイドルの定義を変えたSMAP、国民的アイドルになった嵐、その一方で独自のスタイルを構築したDA PUMPやEXILE、菅田将暉ら特撮ドラマ出身の俳優、K-POPアーティスト――。
新著『ニッポン男性アイドル史 一九六〇―二〇一〇年代』では、未完成の存在であるがゆえの魅力で私たちを引き付けてやまない男性アイドルの歴史を、詳細に描き出しています。
本稿では同書より一部を抜粋しお届けします。

沖縄とアイドル

「U.S.A.」(2018年)の大ヒットで奇跡的復活を果たし、再び脚光を浴びたDA PUMP。この曲もMV(ミュージックビデオ)から人気に火がついたように、ダンスが大きな魅力だった。現在は7人編成だが、オリジナルメンバーは現メンバーでもあるISSAを含めて4人。全員が沖縄出身だった。

沖縄は、数多くのアイドルを輩出してきた土地柄である。女性アイドルのパイオニア的存在である南沙織は1971年、「17才」でデビュー。天地真理、小柳ルミ子とともに「新三人娘」と呼ばれ、時代を代表するアイドルになった。

またその直後の72年には男性4人、女性1人のきょうだい5人編成のフィンガー5がデビューし、「個人授業」(1973年)、「恋のダイヤル6700」(1973年)、「学園天国」(1974年)とビッグヒットを連発してブーム的人気を巻き起こした。デビュー時が12歳、声変わり前の高音が魅力だった晃がかけていたトンボメガネ(レンズが大きな丸形のファッションメガネ)も話題になった。

背景には、沖縄ならではと言える事情もある。戦後、アメリカの軍政下に置かれていた沖縄は、1950年の朝鮮戦争勃発とともに軍事上の要としての役割を増していく。

52年のサンフランシスコ講和条約の発効後も引き続きアメリカの施政下に置かれ、住民による復帰運動の高まりもあったもののアメリカがベトナム戦争への関与を強めるなかで、60年代もその状況は続いた。そしてようやく、72年、佐藤栄作内閣の時代に沖縄の日本復帰は実現する。

次ページ米軍が音楽シーンにもたらした影響
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事