マスターズV「松山英樹に密着10年」で見た進化 日本人初マスターズ制覇、その知られざる軌跡

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松山は、マスターズの戦いを通じて海外の強豪との体力差を痛感し、より厳しく体力づくりに取り組むようになっていった。

「マスターズというのは、そこに出たことで自分を変えることができた場所」と松山が後に語っているように、マスターズ2回目の出場での悔しい経験が、課題に取り組む意欲に火をつける原点となった。

あの涙から1年後の2013年、松山は大きな決断をする。大学を卒業するまではプロにはならないと宣言していたが、マスターズでの雪辱を誓い、予定を1年早め、大学4年生(21歳)でプロ転向を発表した。

「世界で勝てるプレイヤーになりたい」

すべてはマスターズで勝つための決断だった。プロになった松山のトレーニングは、さらに過酷さを増す。土台となる下半身をいじめぬき、一心不乱にクラブを振り続けた。全身から汗が噴き出し、持ち前のポーカーフェイスが大きくゆがむ。過酷なトレーニングを経て、松山の体は見違えるほど大きくなっていった。

そして2014年、松山は2年ぶりにマスターズの舞台に帰ってきた。しかし、万全なコンディションとはいえなかった。左手の故障の影響でクラブを満足に振ることができず、「(2年前と比べて)成長をあまり感じない」と、大会前には珍しく不安を口にしていた。その不安が的中してしまい、初の予選落ちという屈辱を味わうことになった。

手の治療をする松山(写真:TBSテレビ)

日本からアメリカに拠点を移す

時が過ぎ、2015年。松山はここでもマスターズ制覇という夢を叶えるための決断をする。日本からアメリカへ拠点を移したのだ。

「マスターズで勝ちたいので、そこにもっていく準備をしている」

そう語る松山。購入したフロリダの自宅はゴルフ一色。ゴルフクラブやボールが並ぶ用具部屋、鏡張りのトレーニングルーム、ゴルフ関連の書籍が並ぶ本棚。ゲストルームからは、松山のマスターズへのこだわりが窺える。オーガスタの芝生をイメージした鮮やかな緑色の壁が印象的だ。

「マスターズという舞台は、僕をすごく成長させてくれた場所なので、絶対あそこで勝ちたいんです」

松山のすべてがマスターズを中心に動いていた。

拠点を大きく変えた松山は好調だった。2016年2月にはアメリカツアー通算2勝目を挙げ、世界ランキングは14位まで上昇。破竹の勢いで迎えた5度目のマスターズは、首位と2打差の3位タイ、優勝圏内で最終日へ。日本人初のマスターズ制覇は手の届くところまできていた。

しかし、またしても“オーガスタの魔物”が松山を襲う。得意のパットが決まらない。思わず天を仰ぐ松山に、2012年の悪夢がよみがえる。そして、最後まで女神がほほんでくれることはなかった。

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