マスターズV「松山英樹に密着10年」で見た進化 日本人初マスターズ制覇、その知られざる軌跡

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そんな松山の背中を押してくれたのは、数千にも及ぶファン、そして東北地方に住む方々からの激励のメッセージだった。

「こういうときだからこそ胸を張ってプレーしてほしいです」

「松山君、絶対マスターズに行って! とにかく行って。大丈夫」

背中を押してくれた人たちのために――予選初日のスタート前にも東北地方を余震が襲っていた。それでも「逆に頑張ろうと思って集中できた」とウェアに日の丸を縫い付け、キャディバッグには「まけるな日本」のバッジを付けて、松山は大会に臨んだ。

大会前日のイベントをも欠席し、時間が許す限り入念なコースチェック、練習を繰り返し迎えた予選ラウンド。松山は誰よりも強い想いを胸に抱き、圧巻のプレーを見せた。20メートルの距離を1打で沈めるパッティング、ピンそばに寄せる正確なアプローチショット。初出場とは思えない堂々としたプレーで予選を突破した。

2011年のマスターズで予選通過が決定した瞬間の松山(写真:TBSテレビ)

決勝ラウンドでも、当時の松山が「自分の人生の中でいちばんいいショットだった」と語るほどのミラクルショットを披露した。16H(ホール)、127ヤードの第1打ティーショット。あわやホールインワンかというようなピンそば数センチに落ちたボールに、会場からどよめきが上がった。

全身全霊をかけ戦い抜いた予選・決勝ラウンド合計72Hの最終打、バーディーパットを見事に沈めた。「こんなにゾワっとしたことがないなと思うほどの地面が割れるくらいの歓声と拍手」に包まれながら、松山はグリーンをゆっくりと後にした。

手応えをつかんだ初挑戦、だが翌年は試練

4日間を戦い抜いた松山のマスターズ初挑戦は、合計1アンダーの27位タイ。堂々たるプレーで、世界No.1アマチュアプレーヤーの証“ベストアマチュア賞”に日本人として初めて輝いた。その内容に多くの称賛の声が上がる中、「自分はアマチュアのトップではなく、プロのトップになりたい」と冷静に語る松山の眼からは、初出場で確かな手応えをつかんだ様子とマスターズ制覇を見据えた強い意志が見えた。

だが、これは10年にも及ぶマスターズでの戦いの序章にすぎなかった。

翌2012年、2度目のマスターズ出場。さらなる高みを目指した松山は、危なげなく予選を突破する。しかし、最終日に“オーガスタの魔物”が松山に襲いかかる。得意としているパットがことごとく決まらない。3日目を終えた時点で1オーバーだったスコアがみるみる膨らんでいく。

狂った歯車を最後まで修正することができず、通算9オーバーの54位タイ。この結果により、翌年のマスターズ出場権を逃しただけでなく、6打差をつけていたパトリック・カントレーに逆転を許し、2年連続のベストアマチュア賞のタイトルさえも逃した。

「自分のパッティングの酷さに呆れたし、悔しすぎる」

松山はうつむき、右手で涙を拭うと、これ以上インタビュアーの質問に答えることができず、そのまま、その場を後にした。

2012年のマスターズでは悔し涙を流した(写真:TBSテレビ)
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