英国知識人を見事だました「嘘の台湾誌」の内容 希代のペテン師執筆、見抜いたのはあの科学者

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大反響を見たイネス牧師は、これまでの「台湾」に関する発言を1冊の本として出版することを思いつきます。こうして生まれたのが『台湾誌』、正式名称『日本皇帝支配下の島、台湾の歴史地理に関する記述』です。

序文では、読者に対しサルマナザールがれっきとした台湾人であることを印象づけるため、自分の生い立ちについてまとめています。

・台湾の高官の家に生まれた自身が、イエズス会派宣教師の口車にのせられ台湾を出るまでの経緯
・イエズス会派による、ローマカソリックへの強引な改宗に嫌気がさし、英国へ流れ着くまでの経緯

そして本編では、台湾の地理、文化、風習などが37章にわたって事細かに記されています。

・台湾人の祖先は日本人である。
・台湾人は蛇を食す。
・台湾では毎年2万人におよぶ、少年の心臓が神に捧げられている
・台湾の庶民は上着一枚をはだけたまま着る。陰部は金属製の覆いでのみ隠す

なぜ客観的に検証できなかったのか

しかしここで一つの疑問が浮かびます。それは、『台湾誌』を客観的に検証する人はいかなったのか?ということです。

本来、台湾の存在が初めてヨーロッパ人に知られたのは1544年、ポルトガル人らによって発見されたのが始まりです。1624年、当時アジアにおいて絶大な影響力を誇っていたオランダ東インド会社が台湾へと侵攻し統治下におきました。

一方、中国大陸では1644年、農民らの反乱によって明が滅亡。明の政治家にして軍人であった鄭成功が台湾へと落ち延びます。彼はこの島を拠点として明朝の復興を果たすべく、台湾を統治していたオランダ東インド会社へ攻撃を行い、1661年見事これを撤退させることに成功します。

オランダが台湾島から締め出されて以降、台湾にはヨーロッパが入りづらい状況が続いていました。つまり、当時のイギリスに『台湾誌』の内容を客観的に検証するのは困難だったということです。

検証が不可能のため、もはや「言った者勝ち」的な状況です。『台湾誌』は版を重ねるごとに、台湾語のアルファベット表まで捏造し掲載するなど創作の整合性を補強し続けていきます。

一部から疑義はあがるものの、多くの知識階級から好意的に受け止められ、講演会や講師の依頼がひっきりなしに舞い込んできます。膨大な嘘に塗り固められた世界観にもかかわらず、サルマナザールは架空の「台湾」を自身の頭の中に完璧な形で存在させ、どのような質問にも、過去の記述・発言と矛盾することなく答えていきました。

しかし、無敵の強度を誇ったはずの空想も、ある人物の登場により突如として瓦解することになります。

次ページきっかけは「ニュートン」
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