「プレスリー」「ビートルズ」は結局何が凄いのか 伝説のアーティストの原点と若者熱狂の背景

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ロックンロールの熱狂的な渦の背景には、世代間の軋轢があります。第2次大戦後の好景気を迎え、ティーンエイジャーたちは親から小遣いをもらい、さらに放課後にはアルバイトをして、経済的な余裕をもつようになります。彼らが消費者として市場に参加し始めたことで、ファッションや映画、そして音楽もティーンエイジャー向けに作られるようになりました。

また、同じ時期、白人の中産階級家庭の多くが郊外に移り住むようになります。彼らは家電製品や自動車、ブランド商品、別荘を買い求めました。経済的、物質的には恵まれるようになりますが、郊外の生活は退屈で、最初に反抗の声を上げたのはティーンエイジャーたちでした。

社会の矛盾に気づき、大人とは違う価値観や行動をする若者は、大人たちの脅威となっていきます。ここで「思春期の反抗=社会に反抗する若者」というイメージが生まれることになるのです。

戦後のアメリカでは、ティーンエイジャーたちの奔放な「性」も社会問題になっており、大人たちはどのように若者たちの「性」を管理するかに頭を悩ませていました。そこでセクシャルなイメージを伴っていたR&Bとロックンロールがやり玉に挙がったのです。

また、エルヴィス・プレスリーが登場した当時のアメリカは公民権運動の最中で、差別的な一部の白人たちはブラックパワーに抵抗を感じていました。プレスリーの歌やパフォーマンスは黒人を強く意識させるだけでなく、セクシャルな表現も相まって、大人たちの度肝を抜き、さらに、これに若者たちが大きな賛同を示したことで、社会全体が動揺したのです。

イギリスではビートルズが誕生

1950年代に入ると、イギリスでも変化が現れました。アメリカ人のアラン・ローマックスがフィールドワークで採集したブルースを流すラジオ番組が始まると、アメリカ南部の黒人たちが演奏していた、ブルースやジャズ、カントリー、フォークなどをベースにした音楽「スキッフル」が大流行します。

1957年、16歳だったジョン・レノンも高校の友人たちとスキッフルのバンドを結成します。このバンドに、共通の友人を介して知り合ったポール・マッカートニーが参加し、ポールは友人のジョージ・ハリスンを誘って、ビートルズの原型ができあがります。

地元のリヴァプールや西ドイツ(当時)の港町ハンブルクのクラブで腕を磨いた彼らは、1961年、レコード店のオーナーで、音楽コラムニストだったブライアン・エプスタインと出会います。エプスタインがマネージャーとなり、ビートルズは1962年にEMIのパーロフォン・レーベルと契約。リンゴ・スターが加わり、オリジナル曲の「ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)」でデビューします。

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