「プレスリー」「ビートルズ」は結局何が凄いのか 伝説のアーティストの原点と若者熱狂の背景

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全英シングルチャートで最高位17位を獲得したデビュー曲に続き、1963年の年明けに「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」を発表すると、音楽週刊誌のチャートで2位となり、ビートルズは一気にトップスターとして躍り出ます。

ファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は30週もの間、全英アルバムチャートの1位となり、次いで『ウィズ・ザ・ビートルズ(With the Beatles)』も1位を独走。イギリス中の若者、特に10代の若い女性たちが熱狂する姿は、社会現象としてとらえられ、熱狂的なファンは「ビートルマニア」と称されるようになります。

イギリスでの人気を決定的なものとしたビートルズは、1964年2月、アメリカ、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に降り立ちました。

アメリカ進出は大成功を収め、4月1週目のBillboard Hot 100は、上位5位をビートルズの曲が独占。ビートルズが巻き起こした熱風は、すぐに世界中に波及し、同年夏に主演映画の『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』が各国で公開されると、人気に拍車がかかります。

ビートルズがそれまでのスターと違った点は、バンドのメンバーで曲を書き、みんなで歌ったことです。当時のポップス界では、作曲家、作詞家が作った曲を歌ったり、演奏したりしてヒットが生まれるのが主流でした。自作自演のスターは新鮮で、民主的に映ったのです。

ビートルズ以降、ポップスは自作自演が主流になり、より作家性をアピールしたミュージシャンが増えていきます。また、ビートルズによってアメリカ進出の門が開き、ローリング・ストーンズ、キンクス、ザ・フー、アニマルズといった多くのイギリスのバンドが海を渡ります。これが「ブリティッシュ・インヴェイジョン」と称される現象です。

ビートルズは優等生、ローリング・ストーンズは不良?

“ビートルズのライバル”とされるローリング・ストーンズですが、彼らはブルースをはじめとする、アメリカの黒人音楽へのルーツ志向がより強いバンドでした。イギリスの白人たちに向け、どれだけ本気で黒人音楽を届けられるかという志から出発し、バンド名もブルース・ミュージシャンのマディ・ウォーターズの曲から取っています。

ところで、「ビートルズは優等生で、ストーンズは不良」というイメージをもっている方も多いと思いますが、じつは逆です。

特にデビュー前は真逆の状況で、ストーンズはメンバー揃ってお坊ちゃま。ミック・ジャガーも育ちが良く、イギリスでもいちばん頭のいい経済の学校に通い、父親からの仕送りで高いレストランで食事をしながら、夜はクラブでブルースを演奏する生活を送っていました。

一方のビートルズは、ハンブルクにある船乗りが飲みに来るバーで、みんなでドラッグをやりながら演奏していました。バーではよくケンカもして、最後は売春婦と雑魚寝することもありました。そういう10代を送っていた彼らはある意味、デビューした時点で百戦錬磨だったといえます。

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