IT化遅い日本の欠点「紙と電子の併存」は愚策だ 「やめる」という戦略を考えないと崩壊する
電子政府による統制監視国家化に対する恐怖を、ソ連に併合されたエストニア国民が持たないわけはない。しかしだからこそ、先に述べた警察と陸運局の例のように個人情報は分散管理し、そのアクセスは自動的に当該国民に通知されるという、事後的リスク対抗策を行政OSに組み込んだ。「事前的なゼロリスク」が保証されないと怖くて前進できない日本にとって、これこそが「正しく恐れる」姿勢だ。
「実印」などという、入手さえすればパスワード認証なしで使える――よく考えればマイナンバーカードよりずっとセキュリティーの低いものの上で社会活動を行っているのに、マイナンバーカードになると怖いという。そのくせ、ネットでの個人情報漏えい自体が聞き慣れたニュースになれば、もう気にしないのも日本人だ。
結局、正面から聞かれれば「セキュリティー」というが、実は人々は意外と気にしていないことは多い。しかし実際に行政が動こうとしたら「セキュリティーは大事」という「建前」で動けなくなってしまう。マイナンバーカードも、そのため法律で利用目的をガチガチに縛ったから、発行処理もひどく手間がかかる物になってしまった。そんな「ユーザビリティ」の低いものを誰が使いたいと思うだろう。
ICT教育義務化は技術者養成のためではない
「セキュリティー」と「ユーザービリティー」のバランス感覚を持つ。そのためにはICT(情報通信技術)についての教養が必要だ。
初等中等教育からのICT義務教育化は、不足するICT技術者養成のためではない。今までの義務教育が全員必修なのは、それによる一般教養が民主主義国家を支え一人ひとりの判断力のために必要だからだ。
同じように、すべての国民がICTの基礎教養を持つことが民主的な電子国家となるためには避けて通れない。
日本には今や世界の最先端から大きく遅れたという自覚が必要だ。それを今からどこまでキャッチアップできるか。教育が効果を示すには、7倍で進むドッグイヤーのICTの進歩を考えれば絶望的な時間がかかる。
といっても、やらなければいつまでたっても変わらない。少しでも加速するために、すでに社会に出た人のリカレント教育も含め、あらゆる努力で日本国民のマインドセットを「アップデート」する以外に王道はないと覚悟すべきだろう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら