雨宮塔子「子どもにごめんねと言いがちな親へ」 3年間の単身帰国、私は葛藤とこう向き合った
いろいろな事情があるものの、ご批判はごもっともなので、弁解するつもりはありませんでしたが、この「きよみ先生」と呼ばれる保育士の方のコラムは、私の2人の子どもたちと私との関係性を的確に言い表していただいたような心持ちになったのです。
子どもたちには、間違いなく寂しい思いをさせました。泣いたこともたくさんあったと思います。
一緒にいたい気持ちと葛藤しながらも、母親のひとりの女性としての人生を一生懸命に考え、この決断の背中を押してくれた当時13歳の娘は、ティーンエイジャーという複雑な年齢で、心のタンクいっぱいになった気持ちを自分でも扱いきれなくなることもありました。
そのタンクを揺らして、吐き出させるのが私の使命。ですが、何度つついたり、揺らしてみても、仕事を辞めてパリに戻ってきてほしいとは決して口にしないのです。
11歳だった息子は息子で、精一杯、私に心配をかけないようにしているのがわかりました。電話口で、必死に隠してはいるものの、全神経を耳に集中させなければ気づけないほどのかすかな嗚咽が洩れてきたときは胸が潰れました。「私は仕事のために愛おしい子どもたちを犠牲にしている」。何度も何度もそうした思いに駈られました。
そんな私に、両親が教えてくれたことがあります。私がフランスに戻れないので、子どもたちの学校が休みに入ると彼らを日本に呼び寄せていたのですが、実家で夜、私が出演するニュース番組を見ながら、こっそり私の姿をスマートフォンで撮っていたことがあるそうです。
母親が働いている姿を実際に目にしたことで、母親の仕事の「協力者」としての意識がより強まったのかもしれません。それからは、もちろん寂しさは拭えないまでも彼らのなかで何かが確実に変わっていきました。
経験したからわかる「離れているからこそ強まる絆」
私の子どもたちはすでに10代だったので、園児とは較べようがないかもしれません。ですが、「お母さんは今は目の前にはいないけれど、必ず戻ってきて抱きしめてくれる。今はお仕事をしているけど、僕たち、私たちのことを想い続けてくれている」という絶対的な信頼感はきっと、「じゃあ僕は僕で、私は私で園生活を楽しもう」という前向きな気持ちに向かわせてくれるのではないでしょうか。
罪悪感にかられてしまう女性たちには、離れているからこそ強まる絆もあるのだと信じて、職場に向かってほしいと思うのです。
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