身震いするほど速い「ダウントン・ミニ」の衝撃 革新を越えた革命といえるMINIクーパーの原点
「クーパー」と「クーパーS」は強化されたエンジン、シャシー、ブレーキを装備。64年、65年、67年に(66年もトップでゴールしたが、些細なレギュレーション違反で失格)ラリー・モンテカルロで勝利を収めた。ミニのエンジンは最終的に1275ccまで拡大されたが、「1275クーパーS」の誕生が、世界中のクルマ好きを熱狂の渦に巻き込んだ。
ところで、ダニエル・リッチモンドの名をご存知だろうか。ミニ好きなら「1275クーパーSを誕生させた立役者」と答えるだろう。そう、ミニに積まれるBMC・A型エンジンの排気量は1071ccが限界とされていた。だが、ダニエル・リッチモンドが「ボアピッチをずらして拡大する方法」を提案。1275ccが実現したということだ。
ダニエル・リッチモンドは、英国のチューニングショップ、「ダウントン・エンジニアリング」の創設者だが、BMC系(オースチン、MG、モーリス)のチューニングで大きな実績をもつ。ツーリングカーやラリーでのミニの勝利も、ダウントン・エンジニアリングの関わりが大きかったことは知る人ぞ知る、だ。
世界を熱狂させた「クーパー1275S」という名車の誕生には、アレック・イシゴニス、ジョン・クーパー、ダニエル・リッチモンドという「自動車史に残る偉人3人」が関わっていたのである。ちなみに、ダウントン・エンジニアリングはリッチモンドの死後一時幕を下ろした。だが、1993年から再開しているとのこと。ビンテージミニのレストアとチューニングが「売り」と聞いている。当然だろう。
旅の途中でふと思いついた訪問取材で…
ミニが初めてモンテカルロを制した1964年、僕は、ウイルトシャー・ソールズベリー(ロンドンの南西)にある「ダウントン・エンジニアリング」を訪ねた。世界一周一人旅の途中で……。
ダウントンの取材は、ロンドンに着いたときふと思いついたこと。事前の約束はなにもなかった。ロンドンで番号を調べて電話した。ろくに英語もできないのに……。若さ(バカさ……!?)のエネルギーはすごい。
でも、ダウントンは快く対応してくれた。旅の途中なので時間的にも選択肢は少なかったと思うのだが、訪問を受け容れてくれた。単なる訪問取材だけではなく、「ダウントン・ミニに乗りたい」という厚かましいお願いにも「イエス」と言ってくれた。
「”ドライバー”という日本の自動車誌の編集者」と名乗ったからだろう。ドライバー誌を知っていたかどうかはわからないが……。
余談だが、僕はロンドンの足にバンデン・プラ・プリンセス(ADO16)を借りていた。ソールズベリーもそれで行った。小さなロールスロイスといわれたバンデン・プラ・プリンセス……今で言う「バックパッカーの旅人」だった僕に相応しいとはとても言えない。でも、乗りたかったので、これまた図々しく広報車を借りだした。
むろん、安いホテルに泊まっていたが、バンデン・プラ・プリンセスがもっとも分不相応に感じたのはホテルの駐車場。1台だけが「浮いて見えた」。人目があるときの乗り降りが恥ずかしかったことを覚えている。