「汚部屋そだちの東大生」描いた彼女の壮絶半生 就職してからようやく自分を客観視できた

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ハミ山さんは母親に

「毎日が楽しい!!」

と伝えた。

母親は、喜ばなかった。

「うん、じゃあいつまでやるの?」

と言った。

「まさかいつまでも芸術大学になんかいないよね? 当然やめるよね?」

と強い圧力を、ハミ山さんにかけた。

「東京藝術大学を中退したのは、今でもすごく後悔しています。その頃の私は、もう20歳近い年齢になっているのに自我がまったくなかったんです。

母がそう言うならそうなんだろうな、と疑問にも思わず受け入れていました。考える力を育まれていないから、赤ちゃんみたいに言うことを聞いてしまいました」

半ば強制的に東京藝術大学に休学届を出した。そしてハミ山さんは、いわば仮面浪人の形で東京大学へ進学するための勉強をはじめた。

「『落ちたらどうなっちゃうんだろう?』

という危機感がすごかったです。

『来年は受かろうね?』

って母に言われて延々と受かるまで東京大学を受験させられたらたまらないと思いました」

必死に勉強して翌年受験に挑んだ。

ハミ山さんはなんと東京大学に合格した。東京藝術大学と東京大学のどちらも合格した人というのはまず聞かない。

『汚部屋そだちの東大生』は、東大入学のシーンからはじまる。晴れやかな入学式だが、帰る家は母の待つゴミ屋敷だ。

『汚部屋そだちの東大生』の一コマ

「私のお祝い事があると母はチョコレートケーキをホールごと買ってきました。私はチョコレートケーキが苦手だったのですが、食べないと『あなたのせいでゴミになった』と私に罪悪感を植え付けながら、ケーキをゴミ箱に捨てました。

東大の入学が決まったときも、もちろんチョコレートケーキをホールごと渡されました。冷蔵庫は壊れていて入れられないので、渋々全部食べました」

「自分の家はおかしい」と気づいていなかった

東大生になっても母の束縛はとけず、ゴミ屋敷から学校に通った。

しかし、そんな状態になってもまだ、具体的に自分の現状を把握することができなかったという。

「大学から家が近かったので友達と歩いて帰ることがありました。友達に『トイレ貸してくれない?』って言われたことが何回かあったんですけど、家には上げられませんでした。

ただ当時の私は『家が汚部屋だから上げられない』と思ってるわけではないんです。抽象的になんとなく『人を家に上げてはいけない』気がする、というような感じでした。具体的に『自分の家はおかしい!!』とは気づいていませんでした」

大学生になっても、母親の人間関係のチェックは続いた。少しクラスメイトの話をするだけで、

「育ちが悪そう。その子と結婚しちゃダメよ!!」

などと注意をした。

「携帯電話や手帳は勝手に見られていたので、スケジュールや人間関係は親に筒抜けでした。

結局母親が交際してもいいっていう男性はいませんでした。母親世代にとってどれほど“高スペック”な男性でもダメだったので、誰であろうとダメだったでしょうね」

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