朝の社食に出没「妖精さん」はなぜ生まれたのか 「老後レス社会」に潜む日本型雇用のひずみ
「妖精さん」に代表される大企業の「働かないおじさん」問題は、今に始まったことではありません。簡単に歴史を振り返ってみましょう。
「働かないおじさん」が生まれた経緯と日本経済
【1960年代】高度経済成長期
新卒一括採用、年功型賃金、終身雇用を特徴とする「日本型雇用」が大企業に根付きます。若い社員は、雇用の安定と将来の昇給を信じて給料が安くてもがむしゃらに働き、急成長する会社にとっては、大量の労働力を低コストで確保できます。「日本型雇用」は労使双方に都合のよい仕組みでした。
【1970年代】高度成長から安定成長へ
1973年のオイルショックを機に成長ペースが鈍ると、年功で高給を得るようになった中高年の社員に、会社は見合ったポストを用意できなくなります。そして生まれたのが「窓際族」です。会社にいてもろくな仕事がない中高年の呼び名で、オフィスの奥のほうの窓際にしか居場所がないことを表します。
【1980年代】バブル経済
それでも「大企業は雇用を守る」が社会の常識で、「窓際族」は会社を追われませんでした。80年代後半からのバブル期では、仕事がなくなった中高年社員が出ても、会社は彼らをグループ企業に出向させて、雇用を守りました。
【1990年代】バブル崩壊
しかし、1991年のバブル崩壊で状況が一変します。会社を守るには、コストを抑えるために「余剰人員」の削減もやむをえない──そんな価値観が、産業界で一気に広まります。1998年にゲーム大手のセガ・エンタープライゼスにできた「パソナルーム」は有名です。配置先が見つからない社員が、隔離された小部屋に集められ、ただ座って過ごすだけで具体的な仕事はなかったとされます。社員の間では「独房」「座敷牢」と呼ばれました。
【2000年代】進むIT化と不況
技術のIT化が中高年の「余剰人員」化に拍車をかけます。若い頃に身につけたスキルが、どんどん役に立たなくなるからです。
また2008年のリーマン・ショック、2011年の東日本大震災後の円高不況を経ると、“人減らし”の手法はさらに巧妙になりました。2012年にパナソニックグループにできた「事業・人材強化センター」、通称「追い出し部屋」が代表例だと言われています。希望退職を拒んだ社員らが配属され、おもに多忙な他部署への応援を命じられました。
同じような部署は、他にもあります。キャリアデザイン推進部(ソニー)、プロジェクト支援センター(NEC子会社)、マーケット開拓担当(ノエビア)、業務支援センター(東芝)、キャリア開発課(コナミ子会社)……。