奏人は納得したかのように、そっかぁとつぶやいた。この経験が後で生かされるとは、誰も考えもしなかった。
それから約1カ月後のある夜、昼食にクリームパン1個を完食した母親は、夕食前までよく眠っていた。早智子がふと血中酸素濃度計を見ると、数値が通常の90台後半から80、さらに70台へ急速に下がり始めた。
早智子は近所にいる長女の彩子を呼んできてほしいと夫に頼み、自身は在宅医と訪問看護師に連絡。早智子は介護ベッド上に急いで座り、その膝枕に母の頭をのせる態勢をとった。そして顔を近づけて呼吸を合わせる。看取りの作法だ。奏人にはひーばぁの右手を握って、と伝える。
「ひーばぁ、大好きだよ、ひーばぁ」
奏人は早智子の前に立ち、大人たちが先日やっていたとおりに声がけを始める。
「ひーばぁの舌ベロが、白くなってきたよ」
「唇が真っ白、お顔も真っ白になってきた」
「あっ、目を閉じたよ」
抱きしめている早智子には見えないだろうと思い、ひーばぁの刻一刻と変わる表情を伝えようと、小2の彼が懸命に言葉をくり出している。
「ありがとうー、あなたの娘でよかったよぉー!」
早智子も母親の体を抱きしめながら最後に声を張り上げた。
LINEのメッセージに残された言葉
その後の通夜は、にぎやかで明るいものになった。
実は、早智子は息子の良平が亡くなる際、母がとった言動でどうしても許せないことがあり、以来ずっと心から消せずにひきずっていた。しかし、母を抱きしめながら「ありがとう」と言っている間に、その思いが全部きれいに消えるのを感じたという。
「母へのマイナスの感情も、一緒に看取ってくれるんですね」
早智子は通夜を終えた後、25歳下の看取り士の清水のLINEにそう送信した。
(=敬称略=)
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