横浜臨海部に残る「米軍専用線」を知ってますか 日本初の「溶接鉄道橋」3月返還後はどうなる?
横浜市内の鶴見駅から臨海部の工場・倉庫地帯を経て桜木町駅に至る、東海道本線の貨物支線(高島線)。いまは貨物列車のバイパス線だが、かつては線内に貨物の積み卸しを行う駅があり、近隣の工場などに貨車が直接乗り入れる専用線も、高島線から多数分岐していた。
専用線は鉄道貨物輸送の衰退で使われなくなり、その多くは線路が撤去され、痕跡をたどるのも難しい。しかし、瑞穂埠頭(横浜市神奈川区)に延びる専用線は、いまも線路が残っている。2月に専用線を一部たどってみた。
さび付いたレールや橋桁
京浜東北線の東神奈川駅から南東に延びる道路を700mほど歩くと、高島線の踏切が現れる。ここから鶴見寄りの150mほど先に高島線と専用線の分岐点があるはずだが、雑草に覆われていてはっきりしない。
専用線は分岐点からカーブし、東神奈川駅から歩いてきた道路に合流するような形で姿を現す。倉庫に通じる道をまたぐ小さな橋桁は少しさび付いており、橋台には「(改)1957-9」と記された銘板が取り付けられている。1957年に改修工事が行われたのだろうか。
線路は瑞穂埠頭につながる鉄道橋(瑞穂橋梁)へと入っていく。全長80m弱で、曲弦ワーレントラスとプレートガーダーを組み合わせた、レトロ感あふれる姿。幅は複線分あるが、実際には単線の線路しか敷かれていない。さびの色が桁上のレールともども強く、近年手入れされていないのがわかる。
瑞穂橋梁は日本初の溶接鉄道橋として知られる。神奈川県が選定している「かながわの橋100選」の説明資料などによると、同橋梁は溶接橋の試験橋梁として1934年に建造。トラスにはリベットが使われているが、鈑桁部と床組、対傾構の接合にアーク溶接が用いられている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら