横浜臨海部に残る「米軍専用線」を知ってますか 日本初の「溶接鉄道橋」3月返還後はどうなる?

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古びた瑞穂橋梁の脇には真新しい道路橋(瑞穂橋)がある。瑞穂埠頭に入って専用線の終端までたどりたいところだが、橋のアーチ部分には「立入禁止」と大きく書かれていた。専用線と瑞穂埠頭の大半は在日米軍の管理下にあり、専用線も瑞穂橋梁の先で米軍の敷地内に入ってしまうのだ。瑞穂橋と瑞穂埠頭の外周道路は2009年に返還されたが、埠頭地区は基本的に立入制限区域のため、いずれにせよ先には進めない。

高島線を走る貨物列車。右奥に米軍専用線の分岐点がある(筆者撮影)

瑞穂埠頭は貿易港として1925年に着工。造成が進んだ1935年7月15日には、高島線と瑞穂埠頭を結ぶ国鉄の貨物支線が開業し、輸出入品を運ぶ貨物列車が乗り入れていた。しかし戦後の1946年4月、米軍が瑞穂埠頭を接収。現在も米軍の港湾施設「横浜ノース・ドック」として使われている。

もとは貿易港の貨物支線

『停車場変遷大事典』(JTB、1998年10月)によると、瑞穂埠頭の貨物支線は終戦直後の1945年9月頃から日本側の使用が禁止されたが、1947年8月15日以降は戦前と同様、輸出入の貨物に限り営業を再開。1956年4月20日からは米軍の小口貨物の取り扱いも開始している。しかし2年後の1958年5月1日、貨物営業を行う路線としては廃止。これ以降は米軍の専用線として使われている。

倉庫に通じる道をまたぐ橋桁。橋台には「(改)1957-9」と記された銘板が取り付けられている(筆者撮影)

専用線は2000年代後半には使われなくなった模様で、近年は廃線の風情を醸し出していた。今後どうなるのか気になり始めた矢先の今年2021年1月、日米合同委員会は「アメリカ側が使用する必要がなくなった」とし、専用線の返還で合意。遅くとも3月31日までに返還されることが決まった。

戦後、旧日本軍の基地が米軍により接収され、各地の基地に乗り入れていた貨物線や専用線も米軍の物資輸送で使われるようになった。その中心だったのが、航空燃料を載せたタンク車を米軍基地に運ぶ貨物列車で、通称「米タン」。横浜ノース・ドックの専用線にも「米タン」が乗り入れていた。

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