世界の舞台で自分の考えを話せるかどうか 三井物産・槍田会長×ライフネット生命・出口会長(2)
出口:僕もまったく同じ意見です。英語や西洋の文化、思考方法はデファクト・スタンダードなので、知っているに越したことはないと思いますが、絶対条件ではない。
たとえばシェイクスピアを知らなくても、文楽や歌舞伎が大好きならその話をすればいい。シェイクスピアに近松門左衛門をぶつけても、絶対に負けないと思いますよ。あるいは政治論なら、ジョン・ロックの『統治二論』に対して唐の『貞観政要』をぶつけても、まったく引けを取らないと思いますね。人間や人間のつくる社会は基本的には一緒なので、世界中どこでも同じようなことを考えているわけですから。
ただし西洋のことを知らなくても、自分が好きなジャンルをある程度深掘りして、自分の頭で考えて、自分の言葉で語れるようにしておかなければ話にならないでしょうね。
槍田:本当にそうですね。おっしゃるとおりです。
出口:自分の好きなものにほれ込んで深掘りしていけば勝てますよ。僕はスポーツ選手でもピアニストでも、本当に自分がやりたいことにほれ込んでいる人が世界に通用すると思っていますが、教養もそれに近いところがありますね。スポーツでも、あるいは茶の湯でもいいですけれど、これなら俺はプロやぞ、というものがあれば、どこに行っても絶対に負けない。結局、深さの勝負だと思います。
槍田:やっぱり好きなものがあれば、人間はそこに深く入っていくんですよね。それなのになぜそれに打ち込んでいけないかというと、社会や家庭、場合によると企業が裕度を持った処遇をしないからかもしれません。
今の世の中は、なんだかつねに追い立てられるようで、自分が本当に興味のあるところにぐっと入っていけないようになってきている。価値観が定型化してしまっています。なんとかいい学校に行って、安定したいい会社に行って、結婚して子供を育ててという、言ったら悪いけど、面白くもなんともないライフスタイルしか目に入らなくて、それ以外の生き方が認められない。
でもそれ以外の生き方はないかというと、そんなことはない。思い切って好きなことをやればいいじゃないかと思いますけどもね。そういった意味ではわりと幅の狭い人が育ちやすい環境になっている。それが教養の面で劣化しているということになるのだったら、それは多少あるかもしれません。
出口:先日、奈良先端科学技術大学院大学に講義に行って、終わって飲んでいたら、すごく優秀な学生がいました。何でも知っているのです。「きみはどんなバックグラウンドなの?」と聞いたら、東大の法学部を出て経産省に入り、3年くらい徹夜徹夜で働いたけれど、これは自分がしたいことではないと思って、特許に興味もあったので、もう一度勉強しようと思って奈良先端大に入ったんだそうです。そのときいちばん難儀したのは、親や親戚が寄ってたかって止めたことだと言っていました(笑)。まずは大人がこういう生き方を認めないと。