今も放射性物質の不安「福島の漁師」厳しい現実 2月にも基準値を超える魚が水揚げされた
3月11日も船を出していたベテラン漁師
東日本太平洋沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生したあの日、もう60歳に近いベテランの漁師がひとり、福島県の沖合で底引き網を引いていた。海の波の上にいたから、地面が揺れていることも、潮位の変化もまったく気付かなかった。ただ、
「網に異常はなったんだけど、軽快だった網を引くエンジン音が、急に何かにからまったみたいな、ガッガッガッ!という重い音に変わって、それが地震だったんだな」
あとで振り返って、そう語っている。そのタイミングでの携帯電話の速報と、直後に届いた家族からのメールで地震を知った。
しばらくすると、同じ漁港の船が4隻やってきた。「大津波が来る!」と叫んでいた。それで船を港から沖に避難させてきた。その船といっしょに一晩を海の上で過ごした。雪が降って、風が吹く、寒い日だった。陸地は真っ暗だった。
海岸線に近い自宅は、床上浸水した程度で損壊は免れた。すぐに避難所へ逃げた家族とも再会することができた。ただ、あの日獲った魚を市場に持っていったところで、引き受けてくれなかった。仕方がない。魚を海に廃棄するために、再び沖に出た。その最中に、福島第一原子力発電所の3号機が爆発した。2日前には1号機の原子炉建屋が吹っ飛んでいる。
その福島第一と第二原発の見える海域が、40年近く続けてきた漁師の漁場だった。
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