今も放射性物質の不安「福島の漁師」厳しい現実 2月にも基準値を超える魚が水揚げされた

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私は震災からこの10年の間に2回、この漁師の底引き網船に同乗している。1回目は震災の年の10月。福島県では、原発事故以来、県内全域で漁が自粛されていたが、週に1度、回り持ちでサンプリング調査のために1隻の漁船が海に出ていた。

2回目は震災から5年の区切りの3月。半年前に試験操業がはじまったあとのことだった。いずれも夜明け前に小さな漁港を出て、朝日を眺めながら網をおろし、1時間ほど網を引く。その間に明るくなった波間の向こうに、肉眼ではっきりと福島第二原発をみることができた。

「すっきり晴れているときは、あの向こうに第一原発も見えるんだ」

印象に深いのは、2回目の試験操業のときだった。網を引き上げると、体長1メートル、10キロはある大きなヒラメが最初に甲板に横たわった。あんなヒラメは見たことがなかった。続いて50センチほどのヒラメやアナゴ、タラやタコなど、多種多様な魚介類が船の上に揚がってくる。4年半も漁が自粛されていたこともあって、かえって漁場が豊かになっていた。すぐに甲板は海の恵みでいっぱいになる。

ヒラメやアナゴなど多種多様な魚が揚がっていた(筆者撮影)

ところが、甲板の上で魚の仕分けをはじめたはいいが、立派なアナゴやヒラメを手に取ると、そのまま海に放り投げていった。

「出荷できるのは、マガレイとマコカレイだけなんだ」

そういって、小ぶりのカレイだけをケースにより分けていく。あくまで水揚げが許されるのは限られた魚種だけだった。これではサンプル調査とも変わらない。しかも、市場に持ち込む魚も、以前のようには高く売れない。自粛や試験操業によって減った収入は、国の補助金が支給された。

「この10年、なにも変わってねえ」

「だいぶ魚も出荷できるようになったが、それでも安くて、売れねえ」

震災から10年になるのを前に、福島の漁師が言った。去年2月には、すべての魚種で出荷制限が解除されていたにもかかわらずだ。

「この10年、なにも変わってねえ」

そこに追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスだった。首都圏でも外食が自粛され、緊急事態宣言が発出されてからは飲食店の店舗営業も午後8時までに制限されている。福島だけに限らず、各地の漁業も打撃を受けている。

それでも、本格操業の準備を進めてきた福島県では、この4月から「拡大操業」に踏み切る。試験操業として月に8回は漁に出ていた回数を10回以上に増やし、水揚げも一定量を確保する。ただ、福島第一原発の周辺海域では漁はできない。

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