今も放射性物質の不安「福島の漁師」厳しい現実 2月にも基準値を超える魚が水揚げされた

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先月も試験操業で水揚げされたクロソイという魚から、基準を超える放射性物質が検出され、福島県漁連はこの魚の出荷を停止している。基準値を超える魚が見つかるのは、およそ2年ぶりのことだった。

基準値は1キログラム当たり100ベクレルだが、今回は500ベクレルが検出されたとされる。2年前には東京電力が調査のために福島第一原発の港湾内でとったクロソイから、1キログラム当たりおよそ900ベクレルの放射性物質が検出されたこともあったという。

港湾の出入り口に、魚の出入りを防ぐ網を設置しているが、そこから外に出た可能性もある。漁業者にとっても安心して漁はできない。すべては震災直後からなにも変わっていない。

福島第一原発にいた作業員の証言

その福島第一原発にマグニチュード9.0の地震が襲ったとき、施設内にいたという人物を知っている。いわゆる下請け、孫請けの原発作業員で、タービン建屋の中で定期点検の作業中だった。

突然の揺れは2分ほど続いた。揺れはじめと同時に、上からほこりが舞い落ちて、あたりが真っ白になったと思った瞬間、今度は建屋内の電灯が一斉に切れて、非常灯が点いた。

外に出ると、地割れが起きていた。幅10センチほどで、海岸に沿ってずっと続いているところもある。地面が隆起しているところや、なかったはずのところに段差ができているところもあった。東電の女子サッカー部が使うグラウンドに向かうと、液状化したのか、水が噴き出したようにぐちゃぐちゃになっていた。そこで点呼を取り、解散となった。

車でいわき市内の自宅に向かう。ところが、すぐにガソリンが切れた。やむなく車を乗り捨て、歩いた。ようやく自宅にたどり着いたときには、日も暮れて月が出ていた。その月夜に照らされて見たものは、ある場所にあるはずの家が津波に流されたあとだった。

当時58歳だった彼は、その後も仮設住宅から福島第一原発に通い、廃炉作業員として働き続けた。

「最近は朝4時起きというときもあってたいへんだ。東電がサマータイムというのをはじめてさ」

いまは仮設住宅からアパートに移って家族を支える。原発と共にある生活は、この10年でも、なにも変わらない。70歳に手が届きそうでも、原発で働き続ける。

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