一方、なぜ日本のサントリーホールは、コロナ・リスクを顧みず、公演に踏み切ったのか。
というのも、日本でも同年2月26日、政府は大規模文化イベントの開催自粛を要請。さらに4月7日には、7都府県が緊急事態宣言を発令した。それを受けて、すべての劇場ホールはイベント中止に追い込まれた。サントリーホールも休業を決めた。
その間、サントリーホールは、公演の開催と感染拡大防止の両立の模索を続けた。安全、安心にコンサートが開催できる基盤を整え、広く海外のアーティストの招聘を目指した。
日本政府は2020年9月19日、感染リスクの少ないクラシックコンサートなどについて、定員50%から100%に緩和した。それを受けて、サントリーホールは、定員の観客を迎えるために、「お客さま対応編」と「ステージ編」の2つのガイドラインをブラッシュアップして、感染防止策の徹底を図ることにしたのだ。
外務省や各省庁、オーストリア政府などとも調整
だが、海外アーティストの招聘の道は遠かった。第1に、ビザの発給制限をクリアしなければならない。入国時の14日間待機も来日の障壁となる。
サントリーホールは、外務省との間でビザ発給の折衝をスタートさせた。その際、活用したのが一定の条件のもとで14日間の隔離措置なしなどが図られる「ビジネス・トラック」の適用だ。
折井氏は、外務省との話し合いを振り返って、次のように語る。
「どんな条件であれば、『ビジネス・トラック』に準じた措置が利用できるかということを外務省と話し合ったんですね」
外務省と感染防止措置を詰めていくと同時に、各省庁との連携を重ねていった。その間、オーストリアのセバスティアン・クルツ首相からの親書による申し入れがあり、オーストリア政府と日本政府との間では、国家レベルの交渉もあった。
度重なる交渉の結果、特別な感染防止措置をとるという条件のもとに、ビザ発給と14日間待機の免除が図られた。
ただし、感染防止措置の内容は厳しかった――。
まず、チャーター機による来日だ。外務省と話をしていく中で、出てきた結論である。「それが決まったのは、10月になってからです」と、白川氏は述べる。あわてて、チャーター機の手配をした。ただちに協力を表明したのは、全日本空輸(ANA)だ。
最初の公演地は北九州市であり、チャーター機はウィーン国際空港から福岡国際空港へ飛ぶことになるが、この区間には世界のどこの航空会社も定期便を飛ばしていない。ANAは「ボーイング787‐9」を空(カラ)でウィーンまで飛ばし、ウィーン・フィルの一行を乗せて福岡国際空港に戻ってくる便宜を承諾した。
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