Jリーグに「補強苦手なクラブ多い」残念な理由 世界で戦うために必要な「運任せ」からの脱却
しかし、どちらのケースであれ、選手とチーム双方にとって良かったと思えるように両者にとってハッピーとなるようにマッチングの精度を高めていくことが重要だ。そこではデータが大事な役割を担うはずだ。
「データがなくてもサッカーはできる」
かつて一緒に仕事したことがある監督の言葉だ。そのとおりだ。実際、Jリーグのほとんどのクラブでは、データを使わないか、ほんの少しだけ使いながら試合に臨んでいる。クラブの強化担当者はデータを見る代わりに選手を見る。目を付けた選手の試合だけではなく、練習もしっかり見て、自分のクラブへの練習参加を打診する。
しかし、実際に練習参加するとチームを預かる監督からは難しいという評価を受けてしまうことが結構ある。それはスカウトの目には確かに映っても、練習参加した先のチームの監督にとっては不十分なのか、好みに合わないからだろう。
大学在学中にプロを選択した武藤嘉紀のチャレンジ
慶應義塾大学サッカー部で指導しているときに、Jリーグのクラブの強化担当の方がある選手を目当てに頻繁に日吉の練習場に訪れていた。その選手が3年生になったとき、トップチームへの練習参加の声がかかった。
本人は期待を胸に練習参加したが、監督からはあまり良い評価を受けられなかったのか、元気なく帰ってきた。早いテンポでボールを動かすことを要求する監督と、スピードに乗ったドリブル突破からのフィニッシュが武器で、必ずしもパスが得意でなかった選手との間ではお互いしっくりこなかったのだろう。
しかし、スカウトの高い評価は変わらず、4年生のときに大学の部活を辞め、学生ながらプロ入りの決断をした。その選手、武藤嘉紀のチャレンジ、決断は吉と出た。練習参加当時とは異なる監督が採用した堅い守備からのカウンタースタイルは、彼のプレースタイルにマッチした。武藤のプレーは輝きを放ち、間もなく日本代表にも選出され、ブンデスリーガへの移籍を経て、プレミアリーグでプレーする選手に駆け上がっていった。
一方、別のある選手は異なる経験をすることになった。大学2年生のときに練習参加したJリーグのチームの監督からは非常に高い評価を受け、特別指定選手としてプレーすることになった。大学選抜の一員としてもユニバーシアード大会3位の成績に貢献した。
その後スカウトの熱心な誘いで、特別指定選手としてプレーしたクラブとは異なるチームに入団し、いくつかクラブを転々とした。しかし、どこに行っても多くの出場機会を得ることはできず、2020年1月に4年間のJリーガー生活を終えることとなった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら