弾圧下にある「中国のキリシタン」の仰天実態 純粋さゆえに悪い教えに対して脆弱な部分も

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牧師の倉山に言わせれば、そんな中国の家庭教会の信者たちは「原始キリスト教時代の初代教会の苦難を、最も経験している人たち」だ。

「ゆえに中国人クリスチャンたちは信仰心が非常に篤く、日本人クリスチャンから見て学ぶべき点がたくさんあります。……ただ、彼らはその純粋さや熱心さゆえに『悪い教え』に対して脆弱な部分もあるのです」

これについて、福音派系の別の日本人牧師で豊富な海外宣教歴を持つ村田(仮名)は、さらにこう話す。

「過酷な信仰環境に置かれていることから、中国のクリスチャンは『奇跡』信仰が強い傾向があります。もちろんそれ自体は否定されるべきものではないのですが、『強い信仰を持てば誰でも奇跡を体験できる』といった考えが広がるなどした場合、異端的な信仰が生まれやすいのは確かです」

過酷な状況だからこそ信仰心が強い

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そもそも1980年代以降、中国の農村部のプロテスタントは奇跡や異言のような聖霊の働きを重視するタイプの信仰(ペンテコステ派)が強く、不十分な医療体制のなかで健康不安に悩む貧しい庶民に趕鬼(霊的癒やし)を施すことでネットワークを拡大させた経緯がある。

ときには、奇跡や霊的なケアを強調する教えが地下で密かに広がっていくうちに、キリスト教信仰が土着の民間信仰と習合して変質していくケースもすくなからず見られた。

信教の自由が事実上制限されていることで、中国人クリスチャンは聖職者であっても神学的な知識に難があるケースがあり、そのことも「異端」を生みやすい要因になっている。

少なくとも、「ヨハネの黙示録」に登場する大きな赤い龍を中国共産党になぞらえてしまうような聖書解釈は、中国農村部の地下化したキリスト教信仰の環境からであれば、生まれえる余地があったとみていい。

安田 峰俊 ルポライター

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やすだ みねとし / Minetoshi Yasuda

1982年、滋賀県生まれ。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

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