日本人に今こそ必要な「あいまいさ」を許す力 社会に蔓延する排他的な思考を打ち破る考え方

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ケインズのこの思考は、「ケンブリッジ学派」と呼ばれる、ケンブリッジ大学の思考体系に属するものでした。一方で、かつてケンブリッジ大学と並ぶ世界の経済学の中心地だったのが、オーストリアの最高学府ウィーン大学でした。かの「イノベーション理論」で知られたジョゼフ・シュンペーターなどもここで学び、彼らは「オーストリア学派・ウィーン学派」と呼ばれました。

ウィーン学派の特徴は、とことん突き詰めて考えていくケンブリッジ学派と異なり、「つねに疑って議論する」ことにありました。

「一見正しい理論だが、本当にそうだろうか」「人はそれほどシンプルに行動しないのではないか」「自分が見ている事象は一面的ではないか」と、つねに懐疑的に議論を進めていく手法をよしとする特徴がありました。そこに、エリートの理想主義はありません。ただし、批判的になりすぎて、他者の考えを攻撃的に批判しすぎるデメリットも少ならからずありました。

今、私たちに求められるのは、「ケンブリッジ学派」と「ウィーン学派」の両輪ではないでしょうか。

徹底的に考えて結論を導き出すが、しかしそれ自体が正しいのか、つねに疑う姿勢も忘れない。この姿勢を忘れなければ、Aのほうが正しい、いや正しいのはBだ、Aは絶対に間違っている、といった二項対立や二者択一のような排他的な思考にはならないはずです。

「心に縁側を持て」の意味

その意味で、松下幸之助さんはいい言葉を遺しています。

皆さんもご存じのように、松下幸之助さんは松下電器、いまのパナソニックをつくった昭和の名経営者です。私と同郷、和歌山のご出身なので、小さい頃から憧れていた偉人です。彼は多くの名言を遺していますが、私が最も好きな言葉は、「心に縁側を持て」です。

かつて、昭和の頃までの日本家屋にはたいてい縁側がありました。縁側とは、建物の縁にあたる板敷きの通路のこと。それは庭先につづく場所で、家の「内側」であると同時に、「外側」ともいえるような場所です。

心に縁側を持て、とはつまり「あいまいさを許容しましょう」ということです。何が絶対的に正しいか、何が間違いか、というのは、どこまでが家の外で、どこまでが家の内かということと同じで、決める必要のないことである、と。

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