昭和史研究の第一人者が語る「総理大臣の格」 有事の政治家は「石橋湛山」を範とせよ
その第1として、確かに石橋はそのわずかな期間に首相たりうるような事績は残していない。そのことは認めるにしても、いやそれを認めたうえで私はあえて独自の視点を提示しておきたいのである。首相に就任する前の政治活動、言論活動でこの国の羅針盤の役割を果たした人物が、首相に就任するという事実で、その羅針盤の内容の実現を国民に約束したのである。
石橋にとって政治家となり、首相となるまでの50年近い間の言論人としての活動は、近代日本の基本的な骨格を提示し続ける内容でもあった。この内容を実行に移すために、石橋は、首相になったと考えるべきである。石橋にとって首相のポストは、自らの人生の目的ではなく、自らの思想や理念を実現するための手段だったのである。
こうした首相は、大正時代の原敬や昭和初期の浜口雄幸に通じているといっていいであろう。首相というポスト自体を「手段」にする石橋は、官僚あがり、軍人あがり、あるいは大正、昭和初期の天皇周辺の首相たちのように、そのポストは「目的」ではなかったことは知っておかなければならない重要な事実である。
保守勢力の中のバランスを保つ役割を果たしていく存在
そして第2である。石橋は自由党と日本民主党が保守合同を成し得て、55年体制の「保守勢力が結集」して行われた党内の総裁選に勝利を得た首相であった。つまり日本の保守勢力をまとめる政党の指導者になったのである。いうまでもないことだが、日本の保守勢力はいわば極右と評してもおかしくはない思想の持ち主から、社会党とさして変わらぬほど革新勢力と近接な距離にいる党員まで抱え込んでいる。
そのまとめ役としての石橋は、保守勢力の中のバランスを保つ役割を果たしていく存在になった。首相としての石橋は、そのバランス役を担える貴重な存在であった。人格、識見、そして政治的立場によって、石橋がその役割をこなすのにふさわしいという点で首相の座に座ったというべきであった。
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