しかし入学から4カ月ほど経った後、同級生が次々に退学させられはじめた。どうやら、悪目立ちしている生徒たちを全員排除するつもりのようだった。
「これといった悪さはしてなかったと思うんですけどね。学校からは『自主退学か退学か選べ』って言われて、自主退学しました。めちゃくちゃショックでしたね。
その後、人間不信となる事件がありました。それで深く傷ついてしまって、対人恐怖症になり、誰とも会わなくなりました。人の目が怖かったです」
そして岩谷さんは15歳のときから2年間、自宅の自分の部屋に引きこもった。
「引きこもり期間のことを一言で言うなら“無”でした。やることもないし、生きがいもないし、ただ呼吸しているだけでした」
岩谷さんの母親は夜に働いていた。岩谷さんは昼間寝ていて、母親が仕事に行くと起き出してご飯を食べた。顔はほとんど合わせなかった。
自宅には漫画がたくさんあったので、それを読んで過ごした。
寝て、起きて、ご飯を食べて、また寝て。それを繰り返すだけの毎日が2年間続いた。
「引きこもりの2年間で家を出たのは2~3回です。それも雪が降っていたので、見に行こうと思って玄関を開けて一歩だけ外に出ただけです」
ただ家族には「しっかりしろ」「働け」などとは言われなかった。母親は後から、
「外で悪さしないで、家にいてくれたから楽だった」
と岩谷さんに告白したという。あまり構わなかったのは、きっと母親なりの優しさだったのだろう。
女子プロレスとの思いがけない出合い
そんな、つらい日々が終わるきっかけになったのは大みそかのテレビ番組だったという。
「普段はお兄ちゃんとも会わなかったんですけど、大みそかだったのでみんなでご飯を食べていたんですね。私は見たいテレビ番組があったんですけど、お兄ちゃんが勝手にチャンネルを変えてプロレスを見始めました」
岩谷さんはそれまでプロレスに関する知識はほとんどなかった。プロレスラーという職業があることすら知らなかった。最初は
「なんでこんなの見なきゃいけないの?」
と思った岩谷さんだが、付き合いで見ているうちに猛烈に惹かれた。
「人が殴られたり、蹴られたり、投げられたりするのって初めて見たんですよ。人間ってこんなになっちゃうの? こんなことしていいの?って。全部が自分の人生にはなかったことなので、驚きました」
普通はテレビでプロレスを見て刺激を感じたとしても、せいぜいプロレスのファンになって試合を見に行くのが関の山だろう。
「自分がプロレスラーになろう!!」
とまではなかなか思わない。
しかし岩谷さんは、そう決断した。
岩谷さんは、なぜそのような決断をしたのだろうか?
「2年間引きこもっていて、何もなかったんですよ。同級生は、大学に行くか、就職するか、悩んでいる時期です。『自分はこの先何ができるんだろう?』と考えてみたのですが、『このまま何もできず人生が終わってしまう』と思いました。そのタイミングでプロレスに出会って『これしかない!!』と思いました」
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