28歳「岩谷麻優」が女子プロレスで掴んだ生き様 引きこもりでポンコツだった彼女が変われた訳

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東京では、社長と風香さんが出迎えてくれた。初対面なので人見知りした。

「上京した当日は『やってる感』を見せたくて『ランニングしてきます!!』って走りに出ました。でもスタミナはまったくなくて1分走ったらバテバテ。でもここで帰ったらランニングしてないのバレちゃうなと思って近所を散歩してたら道がわからなくなりました。小川さんに『迷子になってしまったんですが? どう帰ったらいいですか?』と電話しました」

上京した翌日は、風香さんのイベントに同行する予定だった。しかし初日の慣れないランニングが祟ったのか、寝過ごしてすっぽかした。

「さんざんお世話になった人のイベントをいきなりすっぽかしました。上京した当日、翌日、とやらかしました。ポンコツですよね……本当に」

家も当然借りられないので、社長の家に間借りして住むことになった。

そしていよいよ本格的に練習が始まった。

「全然ついていけなくてつらかったです。ランニングをしただけで唇が真っ青になってました。でも、つらかったけど、今までの自分の人生にはない刺激がありました。ついていけなくても、できないなりにがむしゃらに頑張っていました」

同期の中には格闘技をやっている人もいたが、それでも完璧にできているわけではなかった。同期同士支えながら練習して、成長していった。

「練習後にみんなでマクドナルドに行ったりするとき、2年間まったくなかった青春を味わっているという感じがして、うれしかったです」

2011年の年明けに「スターダム」の旗揚げ戦が行われることはすでに決まっていた。そこでデビューするには、11月に開催される第1回のプロテストに合格しなければならない。岩谷さんが上京したのは8月で、プロテストまでには3カ月しかなかった。

技術や体力のハンデを自己PRで乗りきる

「必死に頑張りましたが、技術や基礎体力は劣っていました。このままでは落ちると思いました。だから自己PRを頑張ることにしました」

岩谷さんは、リングの上でのテストが終わった後に、

「空中殺法の使い手になります!!」

と叫んで、そして泣いた。落涙した。

「涙で勝ち取った合格です。泣いてなかったら落ちていたんじゃないかな? と思います。落ちていたら、心折れて諦めていたと思います。最近では、新人レスラーを審査する側になることが多いのですが、そういう立場で見ると『自己PRって大事なんだな』と改めて思います」

めでたく旗揚げのときからメンバーになれた岩谷さんだったが、苦難の日々は続く。

旗揚げのときからメンバーに

「旗揚げ戦のとき、みんなは『岩谷麻優は会場に来ないだろう』って噂していたそうです。逃げ出すだろうって。会場につくと、風香さんは『麻優ちゃんが会場に来た!!』って喜んでくれて、入場曲がかかってリングに上ったらそれだけで泣いてくれました。ものすごく心配かけていたんだと思います。

デビュー戦を、こないだ初めて見返してみたんです。めちゃくちゃ緊張していて、顔色も悪いし、普通は水平に打つエルボーを縦に打っているし、予想以上のダメな動きをしていて恥ずかしいというより面白かったです」

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