そんなまるでゾンビとでも言えるような不死身キャラで活躍するようになった岩谷さんだったが、試合中に大きなケガをしたこともあった。
「2冠チャンピオンになってからの、タイトル防衛戦のめちゃくちゃ調子がいいときにケガをしました。ドロップキックをしたときにミスをしてひじを脱臼してしまいました。開始2分でレフェリーストップになってしまいました」
普段からよくやる技なのに失敗してケガをしてしまった。タイトルも失ってしまったし、何よりメインの試合を台無しにしてしまった。痛恨のミスだった。
「病院に行ったら、
『とりあえず麻酔して1日入院してからはめましょう』
と言われました。でも、そうなるとみんなと一緒に東京に帰れなくなるじゃないですか。1人で病院にいたら、絶対に落ち込んじゃうと思ったんです。だから麻酔しなくていいから、今外れた関節をはめてくださいって頼みました」
「麻酔をしないと治療の痛みに耐えられないですよ?」と何度も言われたが、譲らなかった。
結局、麻酔をしないまま、脱臼したひじを無理やり引っ張ってはめることになった。猛烈な痛みに耐えたが、治療はなかなかうまくいかなかった。
なんとか一度、はまったが、少し動かしてみると、ぽんっ!!と外れてしまった。猛烈な痛みが襲い、叫んだ。
結局、上半身と下半身を押さえてもらい、強引に関節を引っ張ってはめた。
治療には3時間以上かかった。
「今までの人生でいちばん痛かったですね。思い返してみると逆に楽しいですね(笑)。
治療ができたので、みんなと一緒に車で帰ることができました。その後3カ月くらい休んで、その間は前説(本番前に観客に行う説明)や雑用をしていました」
最初は苦手だった海外遠征も楽しくなった
海外へ遠征しての試合も最初はつらかったという。
「まず飛行機がダメでした。人生初の飛行機がメキシコ行きでした。空港に着いた途端に『家に帰りたい』って泣いちゃいました。
でも一昨年くらいから海外遠征が楽しいと思えるようになってきました。今はコロナで海外試合はできませんから、早く行けるようになったらいいな、と思っています」
そうして、岩谷さんがスターダムの一員になって10年が過ぎた。
最初はポンコツとやじられていたが、今では人気実力ともにトップのレスラーだ。スターダムのアイコン(象徴)を超えて、女子プロレスのアイコン(象徴)とたたえられることもある。
「でも自分に実力があるって思えるようになったのは、ここ2年くらいなんですよね。今まではたとえ褒められても『自分なんかどうせ』というネガティブな気持ちになっていました。スターダムでの地位が上がったり、ベルトに絡んだりできるようになったのも、周りの選手が辞めていったから、たまたま残った私がそういう立場になっただけ、と考えていました。
自信がついたのは、やっぱり経験ですね。実際に東京ドームや海外など大きな舞台に立ったり、ベルトを獲得したり、女子プロレス大賞を受賞させてもらって、目に見えるハッキリとした結果が出たので、それが自信につながりました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら