女子プロレス団体「スターダム」のアイコン
岩谷麻優さん(28歳)は、女子プロレス団体「スターダム」に所属するプロレスラーだ。
人気と実力を兼ね備えたレスラーで、団体内のベルト獲得や大会での優勝はもちろん、海外でもベルトの奪取に成功したり、東京スポーツ新聞社が発表する2019年度の「プロレス大賞」では女子プロレス大賞を受賞したりしている。
団体の1期生でもある彼女は、今やスターダムのリーダー的存在でもある。あだ名は「スターダムのアイコン」だ。つまりスターダムを、ひいては女子プロレスを“アイコン=象徴”する存在として名付けられた。
そんな彼女が2020年に自伝を上梓した。タイトルは
『引きこもりでポンコツだった私が女子プロレスのアイコンになるまで』(彩図社)
である。
天真爛漫で順風満帆に見える彼女が、かつては自宅に引きこもっていたり、ポンコツと呼ばれていたりしていたとは、にわかには信じられない。
岩谷さんにどのような苦悩の時代があったのか、そしてどうやってそこから脱却して人気レスラーになったのか、話を聞いた。
岩谷さんは山口県で生まれた。
周りは田園しかない田舎町だったという。
「最寄りのコンビニまで徒歩40分くらいかかりました。ただ、生まれたときから、ずっとその環境だったので、不便だなとは思っていませんでした」
子ども時代はとにかく2人の兄のマネをしたかったという。兄が町の柔道の道場に通っているときには、一緒に通った。
中学校になって、陸上部、テニス、弓道をはじめたのも兄の影響だった。
「柔道はやっていましたけど闘争心はなかったんですよね。プロレスはじめたときに受け身も取れなくなっていて『本当に柔道習っていたの?』と信じてもらえませんでした(笑)。成績もよくなかったです。小学校の頃に『勉強なんてやっても意味ないな』って悟ってしまって、それ以来授業はサボっていました」
中学校に入っても授業はサボリ気味だった。
学校には給食だけを食べに行き、友達と遊んで、部活をやって帰ってきた。
学校にいる短い時間に、ヤンチャをしてたびたび問題を起こしていたという。
「教室でサッカーをしてガラスを割ってしまったり、机に彫刻刀で『なかよしニコイチ』と彫ったりしては問題になり、母が学校に呼び出されていました。中学の頃は私より母のほうが学校に通っていたと思います」
先生には、
「このままではどこの高校も受からないぞ」
と言われていた。結局、いちばん学力水準が低い高校を受けてなんとか合格した。
「でも高校時代はめちゃくちゃ楽しかったんです。サッカー部のマネジャーをやっていて、部活終わりに部室に残って、みんなで遅くまでしゃべったりして、青春してました」
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