プロの世界は厳しく、デビューから1年間は一度も勝てなかった。とにかくスタミナがもたなかった。優勢であっても、劣勢であっても、3分間経つと体力が切れてしまう。3分しかもたないから、ウルトラマンとあだ名されたこともあった。
「つらかったですね。何回も逃げ出しました。『もうやめよう!!』と思って家財道具を段ボールに詰めて実家に着払いで送ったこともありました」
岩谷さんは、試合に負けた以外の理由でも逃げ出したことがあった。
「地方の試合に寝坊して行けませんでした。気まずくなって、翌日の都内の試合も飛ばしました。自宅でツイッターで『岩谷麻優は体調不良により欠場です』って流れるのを見ていました」
現場に現れない岩谷さんの自宅に、同期や先輩レスラーが訪れた。
「意外とそういうときってみんな怒らないんですよね。
『無事でよかった。何してるの?』
みたいな感じで。そのときは1人暮らしをしていたんですけど強制的に、寮に戻されました。それでみんなの前で土下座して謝った後、1時間のスパーリングをして、
『もうサボらないです!!』
とみんなに謝った翌日、さっそくサボってました(笑)」
サボってもドタキャンしてもクビにならなかった
そんな岩谷さんに対し、先輩のレスラーからは当然「あいつをクビにしろ」という厳しい声も出た。
だが社長は、岩谷さんをかばってくれた。何度試合をドタキャンしても、雇い続けてくれた。
「正直、ムカつく後輩だったと思います。やめさせろというのは当たり前だと思います。『レスラーは試合がよければ、ほかはなんでもいい』と言われることがありますが、肝心の試合も全然勝てていなかったので。小川さんが、なぜ私に希望を持ってくれたのかは、いまだにわかりません」
何度も逃げ出した岩谷さんだったが、そのたびに結局はリングに戻ってきた。
「リングに上がれば、会場のみんなが声援してくれます。そんな華やかな世界ってほかにありません。それを経験しているから、戻りたいと思いました」
なかなか勝てない岩谷さんに対し、優しく声をかけてくれるファンもいたという。
「『今日はよく頑張ったね。前の試合よりよかったよ!!』
とか、
『成長したね。今日のドロップキックはちょっと高かったよ』
とかほめてもらえて、とても勇気づけられました。グッズも買ってくれて、とても助かりました。優しいファンの人たちの存在も、プロレスをやめない大きな理由の1つでした」
出だしは苦労した岩谷さんだったが、試合を重ねるうちに徐々に勝てるようになっていった。ベルト戦にも絡むようになってきた。
岩谷さんのプロレスの魅力は、ダイナミックに技を受けることだ。
相手の技をしっかり受けてボロボロになっても、それでも立ち上がってやりかえす。まるで“ゾンビ”のようなスタンスで戦う。ハラハラする、見ごたえのある試合が特徴だ。
「プロレスは受けの美学。相手の技はなるべくダイナミックに受けたいです。それで見ている人が『いつ終わるんだ? いつ燃え尽きるんだ?』という気持ちになる、絶体絶命の状況になってから、それを覆して勝つ!! そんな試合を目指しています。喜怒哀楽を全部出して戦うので、お客さんも全部を出して見てほしいですね」
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