「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた

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室町時代に入ると農業技術の進歩や新田開発もあって、全国的に米の生産量が増大する。しかし、庶民が日常的に白米を食べるまでにはまだ至っていない。それが少しずつ改善してきたのは江戸時代になり、世の中が安定して米の生産量が一段と増大するようになってからである。

中国から足踏み式精米が伝わり、精米作業が大幅に省力化されたことも大きかった。それまでは餅をつくように臼と杵で精米していたのだが、これは大変な重労働であった。

その点、シーソー式の足踏み精米なら労力は半減するうえ従来より大量の玄米を短時間で精米できた。さらに江戸も中期になると、水車を動力にして精米する技術が広がり、精米がより簡単に、より大量にできるようになったのである。こうして精米された白米は、大消費地である江戸にどんどん流れ込んだ。

白米ばかり食べる人を悩ます「江戸患い」とは?

江戸っ子は元来が見栄っ張りである。おかずを削ってでも白ご飯を食べることを好んだ。水道で産湯をつかったことと、日に三度白ご飯を食べられることが、何よりの自慢だったという。

これは江戸が急造都市で肉体労働者が多かったことと無縁ではないだろう。日々、肉体労働に汗を流すと、どうしても塩気の多いおかずが欲しくなり、そうしたおかずには分づき米で炊いたご飯よりも断然白米で炊いたご飯のほうが相性は良かった。

もう一つ、江戸っ子に白ご飯が好まれた理由に、当時の食習慣が関係していた。当時の家庭はどこでも炊飯は朝一回きりで、昼も夜も朝炊いた残りを食べた。そうなると玄米に近い分づき米だと、夜ともなればご飯がプーンと不快なにおいを放つようになる。夏場なら尚更だ。それが嫌で極力白米を選んだわけである。

ところが、大好きな白米を買うと、それほど稼ぎがあるわけではないので、おかずを買うまでの余裕はない。そこで自然、ご飯だけをたくさん食べることになる。

その結果、ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。この病気は参勤交代で江戸に暮らす勤番侍に多かったことから「江戸患い」とも呼ばれた。

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