「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた
日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。
なかでも14代家茂の場合は特にかわいそうだった。家茂は20歳かそこらで長州征討のさなかに病死するのだが、相思相愛だった夫人の皇女和宮もその後32歳の若さで亡くなっている。夫婦そろって脚気が原因とみられている。
脚気は「贅沢病」だった?
近年の研究では、豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。してみると、秀吉が晩年になって甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を言い出したりしたことも、脚気のせいだったと考えると、少しは同情したくなるのだが、これは筆者だけだろうか。
この脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。飽きやすく何をしても長続きしない人のことを嘲って「三日坊主」というたとえがあるが、この言葉は本来、脚気を患ってたった3日で亡くなってしまい、坊主(僧侶)を手配しなければならなくなった、という意味だとも言われている。真偽は定かでないが、それほど江戸の人々にとっては怖い病気だったということである。
脚気が江戸患いとも言われ、勤番侍に罹患する者が多かった。これは、国元では滅多に食べられない白ご飯が江戸ではいくらでも食べられることに感激し、在府中に白ご飯ばかり食べ続けたからである。
したがって、国元に戻っていつもどおりの玄米に近い分づき米に雑穀や大根などを混ぜて炊いたご飯(「かてめし」という)を食べていると、いつのまにか体調不良がケロッと治ってしまった。このことから「贅沢病」と言われたりもしたという。
こうしたことを江戸時代の人々は体験的に知っていたのである。とりわけ江戸っ子たちにぬか漬けやそばが好まれたが、ぬかは精米時に玄米から取り除いたものだし、そばも現代ではビタミンをたっぷり含んでいることがわかっている。こうした食べ物から、精米で捨ててしまったビタミンを無意識のうちに補っていたわけである。
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