「言語はツールにすぎない」という大いなる誤解

簡単さや効率性を求める結果起きてしまうこと

言葉は果たしてツールにすぎないのでしょうか?(写真: Ushico /PIXTA)
大学入試をはじめ、国語をめぐるさまざまな変更点が注目を集めています。国語を「論理国語」と「文学国語」に分け、文学の割合を減らして実用的な文章の読解を増やそうとする流れに対し、多くの批判も寄せられています。こうした国語入試改革・教育政策の動きが見落としているのは、いかなるものなのでしょうか。東京大学文学部広報委員会編『ことばの危機ーー大学入試改革・教育政策を問う』を一部抜粋、再構成してお届けします。

国語をめぐって起こっている問題の本質は、一体何でしょう。それは、「ことばをツールだと思っている」ところにあるのではないか、これが私の基本的な見方です。つまり、ことばの捉え方が根本的に間違っているのではないか、そう考えています。

きちんと説明する必要がありそうですね。ツールと聞いたら、ほとんどすべての人は、「みんな普通、そう思っているんじゃないの」と答えるだろうと思うからです。

日本語、英語、私が研究で普段読んでいる古典ギリシア語など、言語はさまざまですが、基本的に、語学を学ぶのは何かに使うため、つまり言語はツールだと考えられています。

日常のコミュニケーションも含めて、仕事に役立てるとか、海外で料理をオーダーするとか、そういった場面を念頭において、言語を学ぶからです。そのように、私たちは通常、ことばは一種のツールだと思っているはずです。

ツールは「効率」によって評価される

私も「ことばはツールではない」と全面否定するわけではありません。実際、海外旅行の際には即席で現地の日常会話を学んだりしますからね。ですが、ことばを単なるツールに過ぎないと思い込むことで、大きな間違いがいろいろな形で生じているのではないか、と考えています。この論点が、まず何よりも大切です。

どのような問題が生じるかというと、ツールだったら、どちらのほうが良いか、といった議論になってしまいます。ツールとしてどちらを使うのが便利か、効率が良いか、という観点に縛られます。

例えば、ものを切る時に、ナイフが良いのか、ハサミが良いのかという、そういう話になるのです。道具には用途があります。裁縫で糸を切るのにナイフは不向きですが、ケーキを切るにはハサミでは効率が悪過ぎます。ツールは、そのように用途におうじて良し悪しが判断されます。

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