「言語はツールにすぎない」という大いなる誤解 簡単さや効率性を求める結果起きてしまうこと

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道具である以上、ツールである以上、簡単なほうが都合がいいのは当然です。いちばん手間がかからず、いちばん多くの人が使える共通のツールを与える、それが社会的にはもっとも効率がいいわけですよね。

効率という観点がここに入ってきます。紙を切るという目的は、大型ナイフを使ってもできないことはありませんが、ハサミでチョキチョキと切るほうがずっと効率が良いですよね。そういった考え方です。

ツールであっても、いつも効率だけで話が進むわけではありません。例えば、おもしろい道具を、複雑だけど使いたいといった、そういう趣味の人もいるかもしれません。昔の人が使った乗り物を復元して冒険する、といった場合です。しかし、通常ツールというものは、何かの目的との費用対効果で価値がはかられますので、できるだけ簡単なものが選ばれます。

いずれ日本語も不要になるかもしれない

ことばがコミュニケーションのツールだと見なされると、できるだけ手間をかけずに、正確に目的を達成できれば、それだけ望ましいことになります。費用対効果としては、学習に費やされる時間や労力と、それがもたらす仕事の量や質との関係が問われるのです。

見慣れない文字や複雑な文法など新たに学ばなくても、小学校から学んできたアルファベットと英語だけ使えれば、世界中で通用すると思われてしまいます。

わざわざ難しい言語にチャレンジする必要はない、ということです。英語の教育で「実用的」であることばかりが求められていますが、その背景にはこのような誤解があると、私は考えています。

この発想を突き詰めていくと、その果ては、情報だけが欲しい、つまり、ことばという面倒なツールを使わなくても成果だけ確保すれば良いということになりませんか。英語ですら必要がなくなり、情報ツールだけが使えれば良いという話になるのです。さらには、日本語だって必要なくなるかもしれません。

単語だけ入れれば、検索ソフトが必要な情報を与えてくれるようになる可能性もあるのですから。その場合でも、日本語の単語くらいは必要かもしれませんが、ことばは単語や情報だけでは成立しません。

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